遠いまなざし
takano

白煙の層が内側からゆるんでとけて 希薄な円筒をえがきだすと 円い暖簾状の幕がたれ そのむこうに藁で葺いた一軒のふるびた家屋がうつむいてかしこまっているのがみえる

 まねかれるように胸元からたおれこみ暖簾をおしてむこうへわたる 畏れや躊躇いをやさしくふみつけながら

 昭和56年式のマツダファミリアが 左手にうつる道具小屋の庇から放射された紫の蜘蛛の巣に護られ 死んだふりをした臀部がさそっている 

 
 其処は豊饒な人心にみちた避寒地であったけれど 悠久のときをかけてのがれついた 貧沃の聖地 車道からみえる平凡な農村のたたづまいは 初秋に豊饒な稲穂の群れをうつし 初夏には子どもたちの鹿道となって湯だちはじめる
 過去とおなじ自然の照射をあびながら 支配の掟によって景色の変容をさまたげられてきた

 またひとびとは脱出も逃走もみずからのぞんではいなかったけれど その風景に埋まり生きるしかないと信じていた
 しずかで穏やかな生活の疲れは(ここちよいともかんじられた)と旅人は思いはせた


 いたいたしい亀裂を舐めてアポリアをのぞきこむと そこにはかたく口をむすんだ廃屋が ようやく素材の重さに耐えていた
 霊気もひとかげもうせた ただ己の過去の舞台として其処にあった
 あのときの外者がいた アポリアに囚われフリーズしたままの姿で
後背にただよう死者たちの視線につらぬかれて

 旅人は虫の羽音に異和をとなえたかったけれど しゃがみこんだ胎児の体躯をさらしていた
執拗なその振動は命そのものような畏怖をよびおこし 瞑黙をしいてくる


 白夜の眠りの畔で、わたしは霧がかった農村の入り口にたち 白煙にかくれきえかかった足取りをたどり、ひきかえすことに執着していた
 もはや実態のなさそうな 心象とおもわれた視覚の凹凸と色合いに なにかの意味をさぐることは無益におもえた その場を一刻もはやくたちさることこそ(未来はひらけるのだ)ともささやかれた


 彼は土間をへだてた框までの敷石の上を そぞろあゆみよっていく 一足一足が交互にふみだされていたはずが いっこうに視界の遠近はたもたれたまま 過去の情念だけがまえのめりにすすもうとして息をとめる


 たおやかに稲穂がゆれている 蟲たちの戯れをはぐらかし いのちのおもさをささえている

畦道の小石をけりながらバス停までのせつない沈黙は鳥影のように父の背をついばんではとびたっていった

 そんなある日の午後

   地は

 割れた


(稲妻が眼孔を斜に刺し、明滅して所在をしらせる「どくろのアポリア」が暗闇のなかにたちあらわれる その気のとおくなる深淵の深さに絶望を確信する あゆむことを断念し また景色のうつろうままにやりすごすこと けしてたちきえることのない この膨漠の死海をさまよいつづける それは緻密な幻想にカモフラージュされた電子界においてはなおさらのこと)


 地の底で 3人の語り手は出会い 足下でジュドウする浮卵の類性に忘我し結束する

 そして すべての死はやってくる


自由詩 遠いまなざし Copyright takano 2012-07-17 08:32:12
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