見捨てられても
阿ト理恵

愛した人に見捨てられた人、愛された人を見捨てた人は10秒に一人いるかもしれない。飼い主に見捨てられた犬が76秒に一匹、猫が一分43秒に一匹、二酸化炭素または硝酸ストリキニーネまたは塩素スキサメトニウムで処分されているのだから。それでも、人は相変わらず犬や猫、兎、ハムスター…、そして人と、支配したいされたいを、見捨て見捨てられてを、削いで削がれてを、軽くなったり重くなったりを、好きの嫌いのを、懲りずに繰り返し、絆は傷だらけなのに芯は太いのか丈夫なのか保っている。植物は、そろそろ人と絆を切るらしいが、ペット化した動物だけは人との絆を切れないらしい。傷の舐めあう依存の法則が成立する唯一の関係だからなあ。単に狩りができない故の食いぶちサ 。

満月をまっぷたつに裂くように、まっすぐ疑うことなく飛ぶ飛行機のように、詩にハマって愛に溺れ、こんな小さなバカ達な存在を、きっと、この地球は包んでくれると信じて。疑いはじめたら家族の首を友人の首をペットの首を己の首を締めなければならない。人間の存在を否定せざるを得ない未来にならないよう、せめて己の頭を己で撫でてほしい。

箸より重いものを持たず、箸より重いことを考えない。

同じ種族やペットから見捨てられても、最後は地球のこやしとなってゆくのサ


散文(批評随筆小説等) 見捨てられても Copyright 阿ト理恵 2012-07-15 21:00:51
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