ソロ、テンペスト
マクベス

安田は自分のことを積極的に話すタイプの人間ではなかった。
暇を見ては遊んでいる郷田が運転の最中に安田の指に光るものを見つけたことで初めて既婚が発覚したくらいだ。

「まったく知らない赤の他人じゃないんだからさあ」
まず神経質な坂口は酒の席で今まで溜まっていた苛立ちをぶつけた。
「込み入った事情が無いなら結婚したこと教えてくれたって良かったんじゃない?」
これが狼煙の合図とばかりにあとの三人も一斉に安田を責め立てた。
デリケートな問題なので誰もが先陣を勤めるのを内心嫌がっていたのだが最近ハマり始めたという焼酎の勢いで坂口は滑らかなようだ。

高校時代の同級生の飲み会は郷田がだいたいセッティングした。
思考が分かりやすくて遠慮の必要がないジャイアンみたいなB型の郷田の性格は、警戒心をどこかに常に持つAB型の安田、坂口、小西の三人にとっては居心地が良かったのか卒業後も機会があれば(郷田がいることを前提に)飲みに行っているようだった。
最近は仕事の都合でなかなか会えずにいた安田が数年ぶりに参戦するというので、郷田、坂口、小西の三人は「不埒にも我らを欺き愚弄し続ける安田を討ち取らんがため勇んで参戦つかまつった」といった赴きで迎え撃つつもりでいたようである。
しかし圧倒的な兵力を前にした当の本人といえば「隠してなんていない」「報告なんか必要か!?」と逆に驚かれてしまう始末で彼らはすっかり肩透かしを食らってしまうのであった。

しれっと先に結婚されてたらどうする?なんて冗談にされるくらい安田には女の噂はなかった。卒業してからもそうだ。
郷田にガールフレンドがいる時期は坂口は童貞だった。坂口が自らの色男全盛振りを自慢している頃、郷田と小西は仕事の話をしていたし、奥手な小西が職場の部下に淡い気持ちを抱いていると郷田と坂口はこぞって応援していた。
安田はいつしか仕事だけが恋人と噂されていた。

「それで、どうやって結婚したんだ?」
「大の嫌煙家の安田に煙草を吸わせるくらい難しい」
「モーゼが海を二つに割るくらい奇跡の業だ」
結局聞き出せたことといえば、一歳の子供がいること、「こんな時代に生まれてくる子供も大変だよね」と、まるで他人事みたいに呟いたきりでそれ以上興味深い話を引き出すのは無理だった。
あとは流れで仲間の仕事や恋の話に合わせて笑っているようで坂口としては消化不良といった面持ちだった。

酒の席がお開きになったあとの安田の帰りの電車は家族の待つ自宅へ向かういつもの電車とは違う車両だった。
いつからかそうするようになったのか、一人になりたいときは決まって海を眺めに来ていた。これは誰にも話していない。
空は雨を降らせそうな鈍い色の雲が覆って夜の海をさらに暗くしている。
安田は浜辺でセブンスターを取り出して火を点ける。喫煙家になったことも誰も知らない。
安田は向かってくる波の押し寄せを、箱の中の残りの五本をゆっくり吸いきるまでじっと身を委ねて見ているようだった。
最後の一本を吸い殻にしてから一時間あまりが経っていた。
ポツポツと落ちていた雨は次第に顔に吹き付ける風と共に本降りになっている。
それでも安田は波の高くなってきた海を相変わらず見ていた。

ふと、何かを安田は呟いた。

そう見えただけかもしれない。立ち上がって口を動かしたようだったが荒れ方がいよいよ酷くなる海と風と雨の音に掻き消され聞こえない。

だが今度は確かに、暴風雨のなかで何かを何度も叫んでいる。

右手を頭上に突き上げた安田。

荒海はそれに呼応するように手前から水平線の向こうへと二つに割れ始めていった。雲の切れ間から解放された月の光が道を照らし出した。



自由詩 ソロ、テンペスト Copyright マクベス 2012-06-27 22:23:30
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