愛すること〜2〜
清風三日月
前回…
人を本当に愛する
ということは
『その人が
一人で居ても
生きていけるように
することだ』と
作家の三浦綾子さんが
言っていた事に触れた
その事について
もう少し掘り下げて
自分勝手に
述べようと思う
私は三浦綾子さんの
言葉にどうしても
賛同してしまう
それは物理的に
出来ない事を
出来る様になれ!
という事ではない
それは考え方の
話なのである
例えば…
異性に溺れてこそ人生
例えば…
ギャンブルこそ人生
例えば…
ゴミなど誰か他の人が
捨ててくれる
例えば…
自分の世話は他の人が
やってくれるもの
例えば…
お金は人から奪うもの
これは相当に
極端な例えだと思うが
それがもしも…
自分の愛する人の
考え方だったとしたら
どうするのか?
そんな人は好きにならない!
それなら問題など
無いに等しいが
もし愛してしまったら
指摘して考え方を
変えるように
行動すべきと私は思う
しかしながら
『俺は浮気する!』
『ギャンブルは絶対やめない!』
『今から金を奪ってくる!』
などと正直に
言ってくれる人は
少ないものだ
であれば
日々の行動や仕草から
何かを感じる必要が
あるのでは
ないだろうか
幼稚園児の時…
小学生の時…
『挨拶をしなさい』
『掃除をしなさい』等
と、先生、親、大人達に
口うるさく言われた人は
多いと思う
それは…
挨拶する事が
大事ということ
掃除する事が
良いことだと
いう意味も
あるだろうが
それ以前に
挨拶する事で
相手と言葉を交わし
相手を気遣う気持ちを持つことの
大切さを教えていた
のではないだろうか
また、掃除をする事で
生活や気持ちを
整理整頓する考え方
人に嫌悪感を
抱かせまいとする
相手を想う気持ちを持つことの
大切さを教えていた
あったのではないだろうか
と思っている
相手に何かをして
『ありがとう』
と言葉を返す人は
感謝の気持ちがある
それは、すなわち
逆に相手がしてくれる
可能性を意味する
つまりは思いやり
の気持ちの有無が
分かるのではないか
また…
家を出た途端に
ポイ捨てをしたり
見える所だけを
綺麗にする人は
本当はだらしなかったり
するのでは
と思えてしまう
つまり、そんな人に
大切な何かを
任せる事など
出来はしない
陰で何をするか
不安を覚えてしまう
また必死な顔で
頑張っている人を見て
笑う人が居れば
その人は必死に
なったことが
ないんじゃないか?
と感じてしまう
人によって
考え方のものさしは
色々であるが
昔から『一事が万事』
という言葉どおり
小さなものも
大きなものに
通じていると
私は考える
愛する人は
私が守るから
私が支えるから
他の人は関係ないのだろうか?
きっと愛する人が
自分の人生を
全て預けられる人で
あるならば…
もしくは
全て預けられる人に
なったのであれば
それは同時に
様々な人から
頼りにされる人である
という事だと思う
様々な人から
愛されるという事
だと思う
人を変えるなど
簡単に出来ること
ではない
人の考え方を
変えるなど
難しいことだ
しかし
出来る!と信じて
話をすること
努力することが
大切なのだと思う
小さなこと
何もそこまで
等と遠慮する間柄
でないのならば
自分の気持ちや
考え方を相手に
伝えるべきだ
そこから自分も
変われるはずだから
何度も言うが
人を変えるなど
おこがましい事だ
しかし
自分と出逢った事で
愛する人が更に
輝きを増したとすれば
それは何と幸せな事かと私は思う
自己満足だと
言われてしまえば
元も子もないが
二人のマイナスを
畏れるよりも
愛する人のプラス
を考えることに
本当の愛が
あるのではないか
と私は思う