240311
ねことら



pray for.



ある、祈りがあった。そこ、ここに立つ、柱があった。薙ぎ払い、覆い尽くす水があった。黒い水があった。語るべき言葉はなかった。奪われたまま立ち尽くす、今、今の物語だけが、ここにある。



たとえば、言葉、それ自身が背骨をもち、自発的に他者を支えるだろうという幻想は、圧倒的暴力の前で、跡形もなく押しつぶされる。言葉が、あなたを、わたしを、ただしく抱きとめることができるのは、あなたが、わたしが、言葉とただしく向き合う準備ができたときに限られている。その冷然とした事実に、つながることさえできていなかった。いま、こうしてたよりなく言葉をあつめ、息を吹き、もやし、ふくらませ、あなたを、わたしを、だきとめるようとするおこないが、あの日、絶えてしまった祈りを、わずかでも浮かび上がらせることができるなら、わたしは、わたしたちは、言葉を、言葉としてはじめて信じ切り、用いることができるはずだ。



折れた鉄骨、灰色の土砂、冷たいみずと、尖った疲労、わたしたちは、奪われ、奪われたことへの反撃を奪われ、忘却しようとし、忘却することさえ奪われ、いつまでもゼロに戻される。祈り。どの瞬間にも、祈りがあった。祈りだけがあった。



何度も繰り返し陽はのぼる。何度も繰り返し季節はめぐる。いきていくこと。春は芽吹き、雪はとけ、建物が立ち、ひとが増え、ひとりひとりがたちどまり、回顧し、展望し、まっすぐ柱を立てていく。いきること。それ自体に意味はない。いきたことに意味がある。いきなければならない。かならず、わたしたちはいきていかなければならない。



やがて、折れた茎はゆっくりと起き上がり、みずを渡らせ、土を割り、揺れることなく、惑うことなく、ひかりを受けて伸びていく。かならず、希望はある。見えなくなることがあるだけだ。



ある、祈りがあった。そこ、ここに立つ、柱があった。今、今だけの物語が、続いていく。何度でも、立ち上がる。かならず、立ち上がることができる。そのために、もう一度祈る。これは、そのための言葉だ。













散文(批評随筆小説等) 240311 Copyright ねことら 2012-03-11 22:42:26
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