幸せの配分
AquArium
どうして誰かが不幸せで
誰かが幸せになる公式を変えられないのだろう
*
たとえば僕が泣いていて
となりには幸せ絶頂の親友がいたり
たとえば僕が充実していて
目の前には跪いて絶望する母親がいたりする
だからと言って、
世界中のすべての人が
幸せになれとは到底思えないけれど
僕の邪魔者は消えればいいと思うし
僕の救世主は幸せであってほしいし
でもそれは、
不可能でただの我儘でしかないのです
解りきったことを思っている。
*
誰かが言った
「怒りは心の痛覚なんだ」
だとしたら、
僕は神経が発達しすぎているのかもしれない
ここのところ
古い傷たちが今更叫びだしている
疼いてしまったら最後
僕は神経を尖らせて殺したいと思ってしまう
*
たとえば僕を死に追い込んでも
となりの中年は権力を誑かせ笑っていて
たとえば僕が逃げ道を作っても
後ろの子分は必死で包囲網を作る
それならば、
そんな低俗な人々は生きるべきではないと
思いながら歩くしかないのでしょうか
僕の邪魔者は地獄に落ちればいいし
僕の救世主は泣かなくていいんだ
人は誰かを傷つけながらしか
生きていけないことくらい、
痛いくらいに解っています。
*
どうして誰かが幸せで
誰かが不幸せでないとこの世界は成り立たないのだろう