幸せの配分
AquArium

どうして誰かが不幸せで
誰かが幸せになる公式を変えられないのだろう







たとえば僕が泣いていて
となりには幸せ絶頂の親友がいたり

たとえば僕が充実していて
目の前には跪いて絶望する母親がいたりする


だからと言って、
世界中のすべての人が
幸せになれとは到底思えないけれど
 

僕の邪魔者は消えればいいと思うし
僕の救世主は幸せであってほしいし


でもそれは、
不可能でただの我儘でしかないのです


解りきったことを思っている。







誰かが言った
「怒りは心の痛覚なんだ」


だとしたら、
僕は神経が発達しすぎているのかもしれない


ここのところ
古い傷たちが今更叫びだしている


疼いてしまったら最後
僕は神経を尖らせて殺したいと思ってしまう







たとえば僕を死に追い込んでも
となりの中年は権力を誑かせ笑っていて

たとえば僕が逃げ道を作っても
後ろの子分は必死で包囲網を作る



それならば、
そんな低俗な人々は生きるべきではないと
思いながら歩くしかないのでしょうか


僕の邪魔者は地獄に落ちればいいし
僕の救世主は泣かなくていいんだ


人は誰かを傷つけながらしか
生きていけないことくらい、


痛いくらいに解っています。







どうして誰かが幸せで
誰かが不幸せでないとこの世界は成り立たないのだろう


自由詩 幸せの配分 Copyright AquArium 2012-03-04 18:51:55
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