嫌いな人間
アルビノ




 ご大層に生きる意味を掲げる人間が嫌いです。何に価値を置こうが知ったこっちゃないが、いちいち人前で叫ばなくてもいいのではないだろうか。
 極論で言えば、「生きることに意味は無い」でしょう。ぼくたちは使命を持って産まれてきた訳ではない。脳みそ云々が違う限り、ぼくにしかできないことは数知れずあるだろうけど、果たしてそれはぼくがどうしてもこの世に産まれてやらなければならなかったことか、と言ったら決してそんなことはない。素晴らしい発明も、それを発明するために産まれてきたのではなくて、産まれてきて、たまたま発明出来ただけのこと。血も涙もない言い方だが。
 「あなたに逢うために・・」とか言う運命論も嫌いです。宗教を取り払った時点で輪廻転生は亡きものである。出逢うべくして出逢ったんじゃなくすべては偶然の産物だ。おめでとう。
(ぼくが本当に愛を知ったときにこの意見を覆すかもしれないが 笑)
 生きることに意味はない。ぼくらは意味を持たずして今日まで生きてきている。意味を見いだす必要性はないと感じる。

 生きる意味は、長い旅路を歩ききるための地図やコンパスのようだ。この世に生を受けてから一番長いことは当然のことながら、生きて死ぬまでである。まったくもって当てのない旅だ。生きる意味を掲げることでより明確に進む方向性が見えてくるのだろう。理解できる。だけど嫌いです。そんなもの掲げなくても生きていけるから。


 命に意味や重さを見いだそうとする人も嫌いです。結論を述べると、命には人々が言うような重みはないと感じている。命なんて軽いもの。だからといって、別に殺人や自殺を推奨している訳ではない。
 もともと命には重さはなかったのだろう。それを先に生きた人間が種族や国が滅びないように命に重い価値を与えて、位置づけた。それがぼくらの根底に根付いただけで、本当は今言われているような重さなんて無いはずだ。
 確かに命はひとつだし、死ねば二度と会えなくなる訳だし、命は大切だ。それはいい。それを言葉であーでもないこーでもないと熱弁されるのが嫌い。そんなことはわかっているんだから。

 命は大切、重みがある、何億の精子が死んだ中の選ばれた精子だ・・・とかなんとか。理解できる、理解できるが・・・嫌いだ・・。



なんだか取り留めもない文章になってしまった上、かなり主観的な話をしているので気分を害されるかもしれない。あくまでも、ぼくの嫌いな人間の話です。あしからず。



散文(批評随筆小説等) 嫌いな人間 Copyright アルビノ 2004-12-01 19:45:09
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