立ち位置
HAL
僕らが若い頃
自分の立ち位置を
明確にしておく必要があった
それは革マルでも
中核でも
民青でも
革労協でも
或いは
ノンポリでも良かった
しかし自分が
どの立ち位置に
立つ者であるかは
明確にしておく
必要があった
それぞれに
僕らは自分の立ち位置を
考え理由を思考し
表明する必要があった
もちろん
何故その立ち位置であるかを
理論武装しておくことも
求められ答えなきゃいけない
そんな時代の中で
僕らが学んだのは
理論もまた武装になることだった
そこでイカレた時代の中にいる
きみたちに問いたい
きみの立ち位置はどこだ
お前の立ち位置はどこだ
もちろん身につけた
武装した理論も聞きたい
昔話に背を向けようとするきみ
背を向けずぼくを見ろ声を聞け
どんな時代にあっても
自分の立ち位置がないものに
自分の立ち位置を知らないものに
時代を背負う力は持ち得られるか
きみらの時代に何か意味はあるのか
何処に立とうが自由だって
自由はそう云う時に遣う言葉ではない
自由はきみらが思っている以上に重い
それを勝ち取るために
どれほどの血が流れた位には思いを馳せよ
いまなお そしてこれからも血は流れる
きみらが言う自由と云う言葉は
余りにそれを知らないかに
ぼくは深い失望を覚えてしまう
自由にはそれと引き換えに
背負うべきものが存在する
それは時代の偽善を見抜く力だ
それを知らず自由の真の意味はない
きみらが言う自由の本性を身勝手と言う
ただ流されていくだけで佳しとするのか
その流されていくものの中に愛はないか
その流されていくものの中に情はないか
立ち位置を一考するべき価値はあると
余計なお世話は重々に承知だし分かって
ぼくはきみらに言いたいだけだけどね