卵鞘のゆめ
佐々宝砂

卵鞘を尻にぶらさげて
わたくしは台所をうろうろしている
交尾した記憶はないので
卵鞘に包まれた卵は無精卵だとおもうのだが
卵鞘の内部からは
なにやら声がきこえるのであった

ああそういえば夢のなかで

わたくしは頬を赤らめた

とはいえ
ゴキブリであるわたくしに頬はなく
頬があったとしても
それを赤らめうるような血液を
わたくしは持たず
従って
頬を赤らめたというのは
修辞的な形容に過ぎないのであるが

それはさておき
わたくしの夢の記憶は
いささかエロティックなものを暗示しており
ある昼のそれなどは
海にして
雲にして
雨にして
つまりちっとも具体的でないのだが
とにかくかなりの湿気を含み
目覚めればあたりいちめん
しとどに濡れそぼっているのであった

卵鞘も多くの水を含むらしく
歩くたびに水音がして
水音がするたびに
くぐもった言葉もこぼれる
それは未熟な卵の溶けゆく音かもしれなかったが

卵鞘の囁きに耳をすませば
それは
わたくしとまったく同じい口調で
ひそやかな戯言を繰り返しているのであった

卵鞘に封じられたものは
日を追うごとに湿度を増すのであろう
熱を帯び
囁きを絶叫に変えるのであろう
しかしながら

わたくしにはもうどうでもよい

わたくしはただ
やがて起きるであろう洪水を
薄暗い台所のかたすみで待つのみである


自由詩 卵鞘のゆめ Copyright 佐々宝砂 2004-11-27 00:39:01
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