聞き上手
まーつん

彼女が話す
僕が聴く

彼女が 引き続き話す
僕が 引き続き聴く

やがてこの身体は 彼女の声でいっぱいになり
両耳から注ぎ込まれた言葉が
目から 鼻から
(口はまだ 我慢強く結ばれて)
水となって 溢れ出す
僕はそれを 心の胃袋に
飲み下すことが できなかった
有名人の 知人の 噂話 陰口
関心のない話題 ばかりだったから

彼女の目は 記憶の部屋に置かれた スクラップブックを辿り
僕の目は 今この部屋にある 窓の外を見つめる
彼女は 誰それが何をしたと語り
僕は 夜に滲むネオンに感じ入り 
同じ部屋にいながら 二人の思いがたどる道は
互いに平行したまま 交わることなく 時間の地平に伸びていく

彼女が天井に視線をさまよわせて ゴシップの芋づるを手繰り寄せている間に
僕はとうとう 口からも 毛穴からも 両の耳から注ぎ込まれた 言葉の水が溢れ出して
こわれた消火栓のように この中華料理店の テーブルの周りを 水浸しにして
ついには そのほとばしりは 赤く染まりだし 僕の自制心が 理性が 寛容が
血液や 内臓や 彼女の言葉の奔流によって ばらばらに押し流された骨の
一本一本と共に 薄皮一枚残して 床にまき散らされ 

そしてふと彼女は 誰もいない椅子に向かって
テーブル越しに話している 自分に気付く
当惑して立ち上がる ハイヒールの踵がリノリウムを叩くと
びしゃりと水音が上がり 彼女の視線は 赤く染まった床にくぎ付けになる
光を失った僕の目玉が もつれた内臓が スープの具のように転がって
向かい合う椅子の背もたれには 力なくへばりついた
薄いクレープのような 僕の抜け殻があり

彼女は後ずさり 椅子を押し倒し 叫びだす 
ブランド物のハンドバッグを 狂気から逃れる命綱のように
その形のいい胸元に ひしと抱き寄せて

給使が飛んでくる
顔色を変えた料理長も
周りの客は なすすべもなく凍りついたまま
火事場のサイレンのように叫び続ける女から 目をそらせずにいる
救急車 警察 現場保持 事情聴取
謎の人体溶解事件として タブロイド記者が店の周りに集まり始めたころ
床の上に流れ落ちて ばらばらになった僕の心は
血糊と共にモップにかけられ バケツの中で合流した
記憶 自尊心 潜在意識 感情

一個の人格を取り戻した精神が
帰る身体を失くしたまま
店の天井近くをさまよう

とにかくこれで
果てしのないおしゃべりからは
解放されたわけだ 僕は再び窓を眺め
さっき浮かんだ詩のフレーズを どうやって紙に綴ろうかと 考え始めた


自由詩 聞き上手 Copyright まーつん 2011-12-26 23:39:46
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