縁側
草野春心



  透明なせせらぎが遥か遠くで
  岩の間をくぐり抜けてゆくのが
  聴こえてきそうな三月の朝
  いたずらな顔をして君が
  せがむみたいに背伸びをしたから
  僕たちは口づけをかわした
  歯と歯がカチンとぶつかって
  ぎこちなく笑うくらいに
  想い合うことを急いで



  脆く小さな部屋の中で
  玄関に並んだ幾つかの靴と
  埃の匂いに包まれながら
  芥子色のセーターを着た君の
  弾むような体をこの手に抱くとき
  窓の外を横切ってゆく
  翼あるものの冷たい影が
  君の左頬に落ち
  予感のように滲んでゆくとき
  僕はありとあらゆるものを
  少しずつ失くしていった



  冬の終りの莢かな光や
  肌を這う風の繊維
  些細な歓び
  ……少しずつ
  限られた手のひらの淵から
  さらさらと足下に溢して
  跡形も残らないほど、粉々に砕いて
  本当はそのことに
  二人とも薄々気づいていた



  愛することは悲しいことかな?
  どうだろう
  それとも僕たちは
  悲しさを愛していたのかな?
  時が流れいつか
  僕の頭がすっかり禿げて
  爺さんになってしまったとき
  縁側に置いた椅子に座って
  散ってゆく銀杏の葉を、一枚ずつ
  一枚ずつ数えているとき
  君を思い出すのはむなしいことかな?



  うん、
  そうかもしれない
  でも悪いことじゃない
  やがて僕の歯が
  すっかり抜けてしまったとき
  呆けた顔をして
  記憶の闇をまさぐりながら
  誰を探しているのかもわからなくなるとき
  銀杏の葉の舞う縁側に
  温かな血潮のように光がそそぎ
  二人が一緒に
  失くし合ってきた歓びに
  よく似た影が笑っているなら



  愛することは悪いことじゃない
  君を愛したことは
  うん、
  そんなに悪いことじゃない





自由詩 縁側 Copyright 草野春心 2011-12-12 17:27:55
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春心恋歌