ラストリゾート (海)
salco

体重は二百キロを超え
母は
終日をベッドで寝暮らす
半身を起こすのは
朝昼晩の食事だけ

動こうと思えば動ける
膝を痛めて以来は這って行く
息を荒らげ汗を浮かべ
みしみしと座敷を圧し
かちゃかちゃと食器棚を揺らし
廊下で息を整え
いずれ壊すドアノブに掴まり立ち
横向きでトイレに体を押し込む

その間に汚れたシーツや
湿ったベッドパッドを交換する
もうお風呂には入れない
隔日の濡れタオル、ドライシャンプー
あとは終日横たわり、何かしら食べている
でなければ鼾をかいて眠っている
乗り上げた鯨みたいに

毎日の買い出しと家事を言い訳に
進学もせず働きもせずわたしは
隣室や台所で鼾に耳を澄ませている
つと止まってしまうのではと怯える


人並みだったのだ
十四年前の夏、三年生の兄と
幼稚園の年長だった私を連れて伊豆に行った時
父はドゥバイに出張中だった
「こっちは暑過ぎて、海はねぇ、見るだけでいいや」
電話で言っていた
「今度はパパも一緒に行くからな
じゃあね、ママの言うこと聞くんだよ」

ひと通り海水で遊び、冷えた体を拭いた後
母は
「もう海に入っちゃだめよ、入りたい時は必ず
ママを呼びなさい」
厳命し、ビーチパラソルの下にいた
左右に目印の赤いリボンが一本ずつ垂れ下がる
その傍らで、兄と私は砂山を作って遊んだが
じき飽きて、鬼ごっこを始めた
鬼ばかりやらされた

文句を言うと兄は
「じゃ、やめた」
言い捨て渚へ走った
ざぶざぶ入って、膝ほどの海で遊び始めた
追いつくと、あっち行けバカと怒鳴った
行かないと、底の砂を投げつけた
飛沫が目に入った
泣けばもっと馬鹿にする
歪む顔を空へ向けた
「ママに言うからね!」
「言えば?バーカ」

嗚咽を見せぬよう貝殻を拾った
言いつけに行けば、もっと馬鹿にする
嫌われて、もっと置いてきぼりにされる
黒い砂に涙をこぼし
貝の色と模様、それから形に目を瞠り
拾っては、這い上がって来る波で洗った
いちばん綺麗なのを拾うと、並べてみて
よく比べて考え、いちばん見劣るのを捨てた

母は
バスタオルを顔まで引き上げて寝ていた
赤いリボンが両側で侍るようにそよいでいた
紺碧の海原も周りの海水浴客も何ひとつ変わらない
呼びに行ったのは、それが怖くなって
泣き出してからだった
この、こみ上げる吐き気のような固まりを
母に取ってもらわなければならなかった
幼かった私と違い
以来、母は自分を許せなくなった


時々、わからなくなる
自分が鼾に耳を澄ませ、怯えるのは母が
あのすえた独房から兄の元へ旅立ってしまうと
服役の代行者を失うからではないのかと


自由詩 ラストリゾート (海) Copyright salco 2011-11-30 23:49:23
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