みんな眠ってしまった
はるな


夜。アデルを聞いている。アデルはかつとくんが教えてくれた。アデルを教えてくれて、そのあとわたしたちは結婚した。
このアパートには若い夫婦が多い(わたしたちを含めて)。生まれたばかりみたいに見えるちいさな子どもたちも。でも夜、どんなに耳をすませてみても、夜泣きの声はきこえない。ときおり、ざりざりとか、ぎるぎるとか、よくわからない虫の声が聞こえてくる。でもそれも、風がすっかりつめたくなって、どこかへ行ってしまった。
みんな眠ってしまった。

すてきなものはみんな男の子から教えてもらった。
今はもうたまにしか聞かなくなったロックンロールも。
わたしは時折、なにが自分のものかわからなくなってしまう。自分が何を好きで、何を選んできたのか。ただただ与えられるものをお行儀よく食べてきたみたい。(そんなことはぜんぜんなかったのに)。

わたしはあまりそうではなかったけれど、妹は食べ物の好き嫌いが多かった。いまでも覚えている。泣きべそをかいて拒否する妹に、怒ったりなだめたりしながら食べさせようとする母。その横でいつもの、諭すような静かな口調で、
「食べないと、からだができないぞ。からだはごはんでできているんだ。」と言う父。
わたしはそれを横で聞きながら、みょうな気持ちでいた。わたしは今からたべるかぼちゃで出来ているのかしら?じゃあわたし、かぼちゃなのかしら?
わたしはかぼちゃが好きだったから特には反論しなかったけれど、でも、たぶん父なら言うだろう。「かぼちゃはかぼちゃだ。でもおまえに食べられたかぼちゃはおまえになる。もしもお前がかぼちゃに食べられてしまうなら、そのときはおまえはかぼちゃになるだろう。」

すてきなものはみんな男の子から教えてもらった。
「わたしが」教えてもらったのだ。
それらはゆっくりわたし自身になるだろう。遅いか早いかだけの違いなら、そんなにおそれることもない。
いまは、アデルを聞いている。アデルはアデルだ。でもアデルの歌う声もまた、わたしがそれを理解すればわたしになるかもしれない。”Jai guru de va om”もいつかは言えるようになるかもしれないのと同じことだ。

英語が苦手な夫は”Sometimes it lasts in love but sometimes it hurts instead.”と聞こえてもびくびくしない。わたしもいつかはそれを恐れずにいたいなと思う。
ともあれみんなもう眠ってしまった。世界は扉の向こうで静かにしている。



散文(批評随筆小説等) みんな眠ってしまった Copyright はるな 2011-11-26 01:09:04
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