レンズ
草野春心



  まるでこの世の始まりから
  僕を待っていたように
  茶色い床に君の
  十二枚の写真が散らばっている
  秋の風が窓の外で
  穏やかにはためく午後
  僕はグラスに冷たい水を注ぎ
  写真に映った、十二人の
  君の前に胡坐をかいて座った



  なぜかは覚えていないけれど
  君はいつも、横顔で映っていた
  少し伏せた二重の眼を
  レンズから背け
  何処か違う場所を探して
  柔らかな頬を僕の方へ向けていた
  十二枚の写真の
  十二人の君の頬
  それは大小様々の
  模造品の果物のように
  静かに光を蓄える
  そこに落ちかかった
  漆黒の髪の、一つ一つは今も
  ほろ苦い蜜の香りを発している



  どの一枚にも
  僕は映っていない
  僕はレンズのこちら側にいたから
  映っているのは君の横顔と
  その時々の風景
  たとえば、
  石神井池のベンチで
  君は数羽の鴨を眺める
  初秋、柳の葉が君の
  つむじのあたりを撫でている
  たとえば、三鷹のコンビニ前で
  六月の雨に眉をひそめ君は
  透明な傘を開こうとしている
  映っているのは
  十二人の
  君の横顔
  僕は、十二個のレンズの
  こちら側



  君の住んでいたアパートの
  硬いベッドの上で
  本を読む君を写したものがある
  それは一際
  眩しい光のなかで
  焼きつけられたもの
  本のページに刻まれた文字は
  一つも見えない
  それでも君の横顔は
  幸福のようなものを宿している
  そう見える
  確かその本は僕が
  君の誕生日に贈ったやつだ
  外国が舞台の
  外国の小説
  透き通るような美しい朝
  男と女が食卓で会話をするところから
  物語はその幕を開ける
  老いた夫はラジオをつけたり
  新聞を広げたりと忙しなく
  痩せた女がシリアルをボウルに開け
  とぷとぷと牛乳を注ぐ
  庭に集まっていた鳥たちが
  やがて何処かへ飛び立ってゆく



  君の唇は
  文字を読みあげているような
  曖昧な形で停止している
  けれども
  本に刻まれた文字は見えない
  言葉は永遠に
  溢れる光の渦に溺れ
  僕はそれを知ることはできない
  硬いベッドの上で
  君だけがそれを知り
  時の流れるのを感じている



  ふいに、僕は
  見えないカメラの
  見えない無数のフラッシュを浴びる
  あちら側がこちら側になり
  こちら側があちら側になり
  もう、区別はなく
  僕と君はその閃光の中で
  幾度と無く巡り会い
  微笑みを交わし
  ぎこちない話をする



  七月が八月とキスをする
  十月が三月と抱きしめあう
  桃の白い果実が
  グラスの水に落ちる
  本のページは秋の風に捲れ
  老いた男がこめかみに当てた銃の
  引き金を引きながら、愛の言葉を口にすると
  女は細い手で
  光の雨に傘を開く
  もしも僕が
  それから君が
  けれども
  だから
  永遠に
  もう
  二度と





自由詩 レンズ Copyright 草野春心 2011-11-24 18:08:16
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