御伽話その1〜くるみ割り人形の恋〜
永乃ゆち

くるみ割り人形の恋
それは雨の日。
片足の取れたくるみ割り人形は言いました。

「恋がしたいね。
こんな雨の日は。
燃えるようなやつを。
薔薇のようなやつを。
雨粒が蒸発してしまう程
熱いやつを。」

それを聞いていたペルシャ猫のシャランは
口の端だけ少し上げてへっ!と笑いました。

「そんなこと言ったって
アンタ薔薇を知っているのかい?
雨粒の冷たさを知っているのかい?
蒸発なんて言葉、いつ覚えたんだい?
昨日奥さんが林檎を赤ワインで煮てる時
ちょっと口走ったのを聞いていただけだろう?
どういう事だか知っているのかい?
おかしいね!へっ!」

雨が。
降り続きます。

くるみ割り人形は。
本当にただ純粋に恋がしたかったのですが
ちょっと知ったかぶりをして
喋り過ぎてしまったようです。
(実際には、いつもお喋りが過ぎるのは
ペルシャ猫のシャランなのですが)

昨日。
奥さんは林檎を赤ワインでぐつぐつ煮ながら
独りキッチンに立っていました。
くるみ割り人形は、林檎の匂いも
赤ワインの匂いも
感じる事ができません。
でも、奥さんが不意に流した涙を見た時、
聞いた事もない名前を口から漏らした時、
奥さんは恋をしていると分かったのです。

くるみ割り人形は、もちろん、
知らん顔をしていなければいけません。
ただ、傾いて、コーヒーミルに
寄り掛かっているだけです。
奥さんは、ただ黙って林檎を煮ていました。
泣きながら。
泣きながら。


**


恋心恋心
揺れるなら風散るのなら花
恋心恋心
舞うのなら雨沈むなら涙
揺れて笑って
そして散りゆく


**



「まぁ、良いじゃねぇか、シャラン。
俺はこんなだが、雨の冷たさも知らねぇが。
まぁ、憧れたって良いじゃねぇか。
知らないから、知りたくもなるってもんさ。
なぁ、シャラン。
俺は・・・。
まぁ、いいや。」

それっきり、くるみ割り人形が
口を閉じてしまったので
そう関心もなかったシャランも黙りこくって
うつらうつらし始めました。

雨の音を聞きながら。


**


恋とはかくも理不尽で独りよがりでわがままな
禁断の果実
けれど誰もがそれを欲しがり
憧れ、知りたがる
ねぇ、愛しい人
世界が恋であふれたら
きっと滅んでしまう
ならば最後の最後まで
ただにこやかに
華やかに
踊りましょう
揺れましょう
ねぇ、愛しい人
わたし果敢にも
あなたに恋しているわ
けれど誰にも
教えないのよ
だから誰にも
汚せないのよ
わたし独りで
飲み込むのよ



**




くるみ割り人形も本当は


すでに恋をしていたのかもしれません。


Fin.


散文(批評随筆小説等) 御伽話その1〜くるみ割り人形の恋〜 Copyright 永乃ゆち 2011-11-18 07:40:06
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