文学の夜
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 新宿御苑の新宿門にほどちかい雑居ビルの地下にそのバーはある。フォーマルなバーではなく、ロックバー。
 扉を開けると、ツェッペリンやZZトップの大音量で、一瞬、身体が外に押し返されるような気がする。照明は薄暗い。7人も座れば満席になるL字型カウンターと、奥のコーナーにはソファーが備え付けてあり、ソファーには大抵酔いつぶれた誰かが眠っている。大音量のなか、よく眠れるものだと思うが、寝顔は皆穏やかである。
 カウンターの内側にはママが居る。通称アキちゃん。彼女がこの店を朝まで仕切る。『モー娘。』のヨッシーに似た、なかなかの美人さんだ。 
 メニューはなく、客の殆どが焼酎ジンロのボトルをキープしている。つまみは乾き物だけ。客層は、お堅いところでは、俺のような建築会社のサラリーマンから、珍しいところでは、SMクラブの女王様や、全身タトゥーの謎の白人女まで様々である。
 その店に、俺はよく、2ちゃんねる創作文芸板で知り合った者たちを連れて行った。それは、オフ会の二次会であったり、三次会であったり。
 そんなある夜、コテハンHが、たちの悪い酔っ払いに絡まれてしまった。その酔っ払いは俺の従兄弟で、歌舞伎町を根城にしている遊び人。常連のひとりで、酒癖が悪く、酔うと誰彼構わず絡む。その夜は運悪く、Hが標的になってしまった。
「こら! 何しかとしてんだ、てめーはよー!」
 カウンターに座っていた俺が、突然の怒号にびっくりして振り返ると、ソファーの辺りでコテハンHが俺の従兄弟に胸倉をつかまれて固まっている。
「まあまあワタル、こいつは俺のダチだ。許してやってくれ」と俺。
「いや、だめだね。いくらケイちゃん(俺のこと)のダチでも、こいつだけは、勘弁ならねー!」
 アキちゃんは、あー、またか、と、両手を広げ、小首をかしげて笑っている。
「ワタル、頼むから今日のところはここで引いてくれよ」
 ワタルはジーンズのボタンを外し、チャックを下げ、イチモツを晒し、ぶらぶらさせている。
「ほれ、欲しいか? 欲しいか?」
 どうも、Hはゲイと間違えられているらしい。そのうち、ワタルは怒りが冷えたのか、大人しくなり、カウンターへ戻り、映画、ゴッドファーザーについてアキちゃんに語りだした。
 騒ぎの収まりがついてから、俺はコテハンHに訊いてみる。 
「おいH、おまえ、ワタルを怒らすようなことを、何かしたのか?」
 顔面蒼白で、むっつり押し黙っているH。俺は、心の中でHに申し訳ない気持ちでいっぱいである。しかし、絡まれるHにも問題はなかったのか、俺は考えてみる。もしかすると、Hは、文学の話をしたのかもしれない。無教養なワタルは、きっと、その手の話が大嫌いに違いない。酒が入っているとしても、部外者に文学の話など、するものではない。その辺に原因があるならば、Hも絡まれて仕方がないような気もする。何にせよ、アキちゃんは笑っていた。大事になることはないと分かっていたのだろう。
 しばらくして、俺たちは店を出た。小雨が降っていた。終電にはまだ間がある。四人のコテハンたちは靖国通り沿いにあるネットカフェに吸い込まれるように入っていった。個室は空きがなく、俺たち四人はオープンブースに並んで座る。その頃の俺は、酔って文芸板に書き込みすることを日課としていた。俺は、気に食わない「名無し」を「ネットゾンビ!」と罵倒する書き込みを繰り返した。書き込みながら、さっきの出来事を反芻してみる。文学云々は別として、やはりワタルが悪い。酒乱とは迷惑で哀しいものである、との結論に帰結した。
 終電の時間が迫って、俺たちはネットカフェを出た。雨は本降りになっていた。傘を持っている者は誰もいない。懐に余裕があるコテハンはタクシーを停めて乗り込んだ。JRで帰るコテハンは南口を目指して小走りになった。コテハンHは、JRで帰るはずだが、なぜか駅とは反対方向に向かって走り出した。俺は走る後姿に「今日は、すまなかったなあー」と、大声で謝った。コテハンHは、「気にしてませんから」と答えて走り去った。この雨の中、いったいどこへ行くつもりなのだろう。
 小田急で帰る俺は、ずぶ濡れになりながら、西口に向かい、最終の各駅停車で帰路についた。金曜日の最終は超満員で、車中、コテハンHの行方を心配するゆとりはなかった。


散文(批評随筆小説等) 文学の夜 Copyright MOJO 2011-11-16 22:47:43
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