離人症
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最近離人症が治ってきて気づいたことがある。
どういう風に治っているかというと、朝起きて「ああこの身体は俺のものだな」と再認識するといった具合である。
それは別に離人症の治癒過程では無いといわれるかもしれない。
しかし私の意識は一体夢の中でどこへ行っていたのだろう。おそらく精神の中にばらばらになって、それ自身意識とは別の体系を形成していたのだろうか。しかし私は夢の中で離人症の特徴である自分が自分で無いような経験をしているわけではない。覚醒の瞬間、「戻ってきた」と言う感覚がぼんやりと私の意識を支配するのである。
その現象だけが私が自分を離人症(だった)と同定する理由である。
夢はかなりの部分、先ほど述べたようにシンボリックに体系化されているらしい。
夢の内容を無理して思い出そうとすると、霞がかかったように淡く形を失う。
困難なことだが、また人の夢など聴きたくないと言う人には我慢してもらって、思い出そう。

私はなにやら<失っている>。それがなければ次の<駅>に行けない。しかし私はすでに列車の中にいる。周りで誰かが私を噂している。私が<失っている>ことを笑っているのだろうか。

それだけしか思い出せない。
だが博学な人はすぐに思い出すだろう。
精神分析で語られる幼児体験の喪失である。

しかし、それと離人症とどう関係があるというのか。物理的に脳の機能が衰えるのは精神分析の最も不得手とする現象である。
私はこの症状の原因をはっきり認識しているので、これがひどくなる前は短期記憶が非常に衰えるのを認識していた。それは現在は完全に治っている。
ある理由で私は医者に処方されたもの以外の薬物(違法では無い)を服用していた。
最初はものや人名を思い出すのが困難になった。
短期記憶の減衰が離人症のような長期現象に変じる過程を、私は生理学に暗いので科学的に説明できないが、これは、パソコンの仮想メモリの動作に似たものではないかと思うようになった。
コンピューターのOSではメモリが不足するとハードディスクの一部を拝借するように設計されている。これを仮想メモリと言うらしい。
日常の記憶を守るため、脳が保護的に記憶の領域を確保したがために、長期的な記憶のシステムに多少の負担を与えているのかもしれない。
<失っている>のはそういうことなのか。
パソコンのOSは腹が立つほど馬鹿なものがあったので人間の考えをパソコンに適用できてもその逆は出来ない、と思われがちだが、意外とこういう発見もある。

ただ、これは科学ではない。では。



散文(批評随筆小説等) 離人症 Copyright GrassRoots 2011-11-01 21:34:12
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