ただいま
はだいろ
残業に疲れて、
地下鉄のつり革につかまって、
エスカレーターの列に並び、
街灯の下を、
とぼとぼと歩いて帰って行くと、
窓から、
あの子が、赤ちゃんを抱いて、
「パパ!」と手を振る。
それで、疲れはいっぺんに吹き飛ぶ・・・
なんて、夢を、
見たこともなかった。
残業に疲れて、
でもそれは空虚な、あまりに空虚な徒労で、
人生42年間を振り返っても、
なにひとつ、成し遂げたことはなく、
これからの人生を望んでみても、
いまの会社にしがみついて、
よくて課長止まり。
いや、いや、いや、
そうではなくて、
まるで、あんな課長や部長のように、
なってしまうのかということが、
とても恐ろしい。
だけどぼくが、けっして、
ああいうふうにはなれないということが、
100%わかっているので、
ということは、
これから、日々、そんな、
納得のできなさを、一日、一時間、一秒ごと、
身に心に刻まれなくてはならないという、
気づきと、
あきらめきれなさと。
窓から、
あの子と、
赤ちゃんが手を振る。
ぼくは街灯のしたで、はんぶん透き通って、
ぼくのちょっと後ろに伸びる影が、
思い出したように、
ただいまと照れているのかもしれない。
このまま、
死んだように生きていくことで、
あの子や、
生まれてくる赤ちゃんが笑ってくれるなら、
ぼくは、
喜んで死んでみるべきなのだろうか。
でもぼくは、
例えば、自分の父親が、
自分のために、
死んだように生きることを、
一瞬でも望んだだろうか?
いや、いや、いや、
そんな話じゃ、ちっともないんだ。
生きるって
厳しい
そして淋しいものだ
ひとりの部屋のドアを開けて
はんぶん透き通った幻に
ただいまと声を投げてみる