疲労薬
「Y」

「疲れる薬だと言うと変に思うかもしれませんが、これは正真正銘の医薬品です」
 あのとき、高木はそう言った。
「疲労薬」と印刷された赤唐紙が、半透明の茶色い瓶に貼り付けられている。私は彼の説明を聞きながら、瓶の中に入っている褐色の小さな丸薬を見つめていた。
「仕事のしすぎなどで疲れを感じない体質になってしまう人がいるのです。疲れ知らずというと聞こえは良いのですが、これは衰弱の一形態なのです。放っておくと、自分が疲れている、ということにすら気付かないまま、いつの間にか死んでいたということになりかねません。これは、そうした症状を治す薬なのです」
 昭和末期のバブル時代に、漢方薬局で店員として働いていたことがあった。
 その店で扱っていた「疲労薬」という名の薬を、私は印象深く憶えている。
 いまでは、疲労薬を扱う薬局はどこにも見当たらないし、インターネットで検索しても何も出てこない。
 疲労薬がこの世から消えた理由は、需要が無いからだ、ということになるのだろう。しかし、すくなくとも当時は、疲労薬は売れない薬ではなかった。  
 高木は虎月堂という名称のその薬局の経営者で、小太りで愛想の良い老紳士だった。
 ピンク色の肌は常に光沢を備えていて、唇は紅を差したような赤色をしていた。
 その容姿は周囲の者に健康的な印象を与えていたと思う。だが、あまりに健康的すぎる人が、逆に不健康に見えたりすることはないだろうか。私には高木の過剰な若々しさが、どこか人工的な、まがい物じみたものに思われてならなかった。
 最初の一週間ほどの間、私は高木から様々な薬の効能について教わった。
 疲労薬についての簡単な説明を受けたのも、その時のことだ。
 高木の説明に不可解な点は無かったが、薬瓶に貼り付けられた「疲労薬」という文字から受けた違和感は、私の中に残り続けた。
 ひと月ほど経つと、高木が店に顔を出すのは開店前の一度だけになった。
 店に来るのは常連客が多かった。
 彼らの中に、特に強く記憶に刻みつけられている客が一人いる。
 園田という名の三十絡みの女だ。
 彼女は月に二度ほど、閉店間際に店を訪れ、疲労薬を買っていった。
 黒い服を細身の身体にまとい、どことなく陰鬱な雰囲気を漂わせていたが、容姿そのものは美しかった。
 彼女は疲労薬を買ったあと、きまって、店内で十分ほど休んでいった。店員と客の立場で言葉を交わすようになったのも、ごく自然な成り行きだった。
「失礼ですが、疲労薬はお客様が飲まれるのですか」
 ある日私は思い切って彼女に訊いてみた。
 彼女はいつも疲れたような顔をしていて、疲労薬を必要としているようには見えなかったからだ。
「わたしはこんなものは飲まないわ」
 彼女は即座に答えた。「これはわたしじゃなく、主人に飲ませるの。こっそりとね」
「ご主人にですか」
 そうよ、と彼女は言い、左の唇の端を意味ありげに歪ませながら微かな笑みを見せた。
「原因はご主人の働き過ぎですか」
 こっそり、という言葉に不審を抱きつつ、更に彼女に質問を投げかける。
「そうね。そういうこともあるかもしれないけれど」
 そこで彼女はなぜか口をつぐみ、何かを考えているような表情をすこし見せたあと、不意に言葉を吐き出した。
「夜のおつとめが、激しすぎるのよ」
 これまで聞いたこともない服用の理由を耳にして呆然としている私に向かって、追い打ちをかけるように彼女は言った。
「何度も求めてきて、体がもたないの。この店の主人の、内縁の妻なんです。わたし。」
 そのあとの彼女とのやり取りの内容を、私はもう憶えていない。いま私の中に残っているのは、彼女の妖しげな微笑みだけだ。
 あれから私はさまざまな職を転々とし、今は小さなリサイクルショップの雇われ店長をやっている。
 私は思う。疲労薬は、都心で地上げ屋が暗躍し、にわか成金たちが繁華街にカネをばら撒いていたあの時代の、徒花みたいなものだったのではないかと。
 今はあの頃に比べて、疲れている人が増えたように思う。疲労薬だなどと言ったところで、振り向く人がいるとは思えない。
 虎月堂はいまから十一年前に、店主の高木が急死したことを受けて消滅している。
 風の噂によると、高木の死因は「過労死」だったという。
 もしかしたら、あの女が高木に疲労薬を飲ませすぎたのが原因であったのかもしれない。


散文(批評随筆小説等) 疲労薬 Copyright 「Y」 2011-10-31 21:01:39
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