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 おれには、玄関の鍵を閉める習慣がない。鍵を無くしてしまうからである。これまで何度も不動産屋に迷惑をかけてきた。どうせ安普請のワンルームマンションである。侵入盗に目を付けられる心配よりも、不動産屋の苦りきった顔の方が、おれを圧迫する。よっておれは施錠をしない。ところが、そんな悪癖が、たまには興味深い展開を見せることがある。
 その日も施錠をせずに出勤した。おれの職は総菜屋でコロッケやメンチカツを揚げることである。故あってホワイトカラーから脱落したおれには不本意な仕事だった。
 仕事を終えて帰宅すると、玄関扉が数センチ開いている。履き古したサンダルが挟まっていたのだ。部屋に入るとなにやら気配がする。おれは緊張して灯りを点けた。すると、小柄な虎ぶち猫が背中を三角にしてフーフー唸っている。それを見たおれは喜んだ。おれが育った家には常に猫がいて、こういう場合の扱いを熟知していたから。
 まずは玄関を閉め、猫の出口をふさぐ。そして、何事もなかったように振舞う。おれはベッドに寝そべりテレビを点ける。猫のことは一切無視する。猫は玄関辺りでガサゴソしている。逃げ道を失って困っている様子。テレビでは、清原が二打席連続で三振した。猫は、自分の置かれた状態に段々慣れてくる。そして部屋の中を物色し始めた。おれの部屋は衣類やダンボールが散在しており、猫はそれらに興味を示したが、最後はクローゼットに入り込み、出てこなくなった。
 野球中継が終わった。そろそろ頃合いである。おれは静かにクローゼットに近づいた。中を覗くと、猫はおれを見ないが、興奮している様子はない。おれはそっと指を近づけ、猫の顎の辺りを愛撫する。すると、猫は両耳を水平に保ち、これは、服従、あるいはリラックスのサインである。おれは猫を抱き取り、ベッドに戻る。仰向けに寝て、猫を胸の上に置いてみる。猫はあのゴロゴロ音を発している。小柄な虎ぶちだが、腹が膨らんでおり、仔を宿してるようだ。おれは猫の前肢を目を閉じた瞼に置いてみる。それはひんやりとして心地よいものであった。
 翌日から、おれは残った惣菜を持ち帰り、マンションの近所であの猫を見かけると与えた。そのうち、猫はおれを見つけると、足元に擦り寄ってくるようになった。
 ところが、あの猫は五月の連休中に災難にみまわれた。マンションには管理人室があるのだが、その中に閉じ込められてしまったのだ。このマンションには管理人は常駐しておらず、管理人室は実質メンテナンス業者の物置になっていた。連休中につき、次の巡回日は某日です。そんな張り紙が管理人室の扉に貼ってあった。おそらく猫は連休前にメンテ業者が道具を出し入れしている間、中に入り込んだのであろう。おれには連休がなかったから、朝の出勤時に閉じ込められた猫の鳴声を聞いた。帰宅してみると、鳴声は勢いがなくなり、憔悴しているのは明らかである。翌日は定休日だったがおれは出勤日よりはやく起きて猫の様子を見に行った。鳴声は更に元気がなくなり、おれの心を重くした。部屋に上がり、メンテ業者に電話してみると、連休中につき云々とテープがまわっている。おれはベッドにもぐり、じっとしていた。日が傾き、空が茜色に染まった頃、おれはハンマーを持って管理人室へ下り、出窓のガラスを叩き割った。以来、あの猫は姿を見せない。きっと何処か近所の森で仔を生み、育て、トカゲや野ネズミを喰らい、そう遠くないいつか土に還るのだろう。その結末はおれを満足させた。あの猫はほんの短い間だが、ふてくされのおれを癒した。
 ここまでで、収まりの良い話だが、実はまだ先がある。数週間後、おれはあの人懐っこい雌猫と偶会したのである。おれの住むマンションは四階建てでおれの部屋は三階にある。エレベーターはない。仕事を終えて帰宅したおれが階段を上って部屋に戻る途中、二階の踊り場付近にあの猫が現れた。いつものように足元にはじゃれついてこない。鳴きながらおれから離れてゆく。離れながらまた鳴く。どうやら、こっちへ来い、とおれを呼んでいるようだ。付いていってみると、角の空き部屋のガスや電気のメーターが設置された機械室の扉が半開きになっていて、中を覗くと、ぼろ雑巾やらウエスを敷きつめたベッドに、白ぶちや黒や鯖虎の仔猫が眠っているではないか。
 おれはコンビニに走って、彼女のために猫缶を買い、自分のために缶ビールを買った。 数日経つと、猫は仔を連れてエントランス付近に下りてくるようになった。仔猫たちの食欲は旺盛で、おれが持ち帰る残り物の惣菜をうーうー唸りながら喰った。しかし、母猫がそうするように、おれの足元に擦り寄ってくる仔猫はいなかった。 


散文(批評随筆小説等)Copyright MOJO 2011-10-27 23:31:47
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