聖域なき未来に少女がみた世界
済谷川蛍

 『聖域なき未来に少女がみた世界』

 未来は悪意に満ちていた。この世はグロテスクだった。聖域は幻想だった。憂鬱な雲を糧に煌々と燃える太陽が、一筋の光を伸ばしていた。放課後、一人になるのにうってつけの廃棄場に少女はいた。捨てられたオープンカーの助手席を倒し、空を見上げていた。4つの青い輪を燃やしながら上昇していく宇宙旅客機を見ながら、海峡の向こう側の街に巨大な爆弾と化して墜落すればいいのにと思った。しかし何事もなく機影は夕空に消えていった。少女はため息をついた。
 「つまんないの」
 しかたなく全身をバネにして飛び起き、車のドアを開けずに飛び降りて、目に映ったアンティークの携帯電話を拾い上げて眺めた。泥を払い顔にそっと電話を近づけ、会話の真似ごとをした。
 「もしもーし、そちらの時代は楽しいですかー? 未来は最悪でーす」
 彼女は思わず鼻で笑った。携帯をへし折り、海へ投げ捨てた。冷たい視線を海から車のトランクへと流し、カギを開けてその中からゴーグルと鉄パイプを取り出した。
 「さーて、獲物を探すかな」
 鉄パイプの重みを楽しむように振りながら散策すると間もなく獲物を見つけた。半分瓦礫に埋もれたロボットが少女に気が付き首を上げた。
 「コンニチワ」
 「こんにちわー」
 少女は残酷な笑みを浮かべ、ロボットの頭に鉄パイプを振り落とした。破片が飛び散り、油が噴出して、電子音が悲鳴のような音を上げ、原型を留めなくなっても叩きつつけた。彼女が体中に充満させていた暴力衝動を全て発散させ終わるとやっと鉄パイプで奏でる金属音は鳴り止んだ。少女は膝に手をついて荒々しく呼吸を吐き、やげて落ち着くと振り返って街を眺めて言った。
 「ねえ、あたしって狂ってるっしょ?」
 空っぽになった腹の中から今度は乾いた可笑しさが湧いてきて少女の大きく開いた口から際限なく出て行った。海沿いの街は夕焼けが美しかった。少女がこの街で愛していたのはそれだけだった。少女はトランクに鉄パイプを直してカギをかけ、通学カバンを持って家へ帰った。

 「つまらねえこたぁいいんだよっ、ごちゃごちゃ言ってねえで早く買ってこい」
 深夜の2時にコンビニに行って酒と菓子を買ってこいと命令したのは15歳の娘で、携帯で起こされたのは彼女の父親だった。
 「さっさと買ってこいっつーのがわからねえのか」
 「わーかったよ」
 娘の声に包丁のように脅かされ、財布と車のカギを握って父親はふらついた足取りで階段を降りた。飼い犬のボンが玄関までついてきて、父親は頭をなでてやった。車のエンジンをかけ、用心のためにドアをロックし、ハンドルを握って虚空を見つめたまま何度もした自問自答を繰り返す。
 「あいつには思いやりというものがないのだろうか。女の性質はどこにいったんだ。前にボンといっしょに深夜の散歩をして調べたことがある。この住宅地で平日の深夜の2時過ぎに明かりがついている家はうちだけだった。俺だけが苦しんでいた」
 父親は、娘が自分の車のエンジン音をひどく嫌がるのに気づいて出発した。
 「いや、娘も苦しいのだろう。しかし俺のほうがもっと苦しい。家では出来そこないの執事だろうと、社会では俺はしのぎを削る会社員だ。同僚が首を切られる中、俺は生き残っている。だから食えていけてる。この前いきなり代引きで届いた服だって、10万だと? お前が満足するのならと思い、払ってやったじゃないか。お前はまったく、俺の思いやりを何だと思ってるんだ。ろくでなしだ。お前は今15歳、お前が大人になるのに、あと何年かかるんだ? こんな状態が、いつまで続くんだ?」
 彼の車のトランクの奥のカギ付きの工具箱の中にはロープやサバイバルナイフ、ガムテープや練炭が隠されており、心中の用意がされている。彼はその工具箱を脳裏に浮かべて目玉を黒く染め、彼の同僚やかつての妻、娘も聞いたことがない太い声で呟いた。
 「俺が修羅になるのを望んでるのか、サチコ」

 挨拶を交わす相手がいない。即ち少女は孤立していた。自ら進んで選んだ教室の斜め隅の席で本を読んでいる。その席は同級生の会話や様子を観察するのにも適していた。生徒たちの取るに足らない自慢話に「くだらない。お前らの自慢話には華がねーんだよ」とほくそ笑んだ。
  今日も学校の時間は無駄に過ぎた。彼女が廃棄場に向かっていると一人の男子に声をかけられた。
 「あ、あの」
 えっと思って振り返ると、バラ色のケツこと成瀬が立っていた。彼が教室でイジメられ、パンツを脱がされたときに彼女の頭の中でその言葉が定着した。昼休みを過ごしている図書館でよく彼を見た。
 「なに?」
 「し、霜村さん、」
 成瀬は極度の緊張症で言葉が詰まり、顔を真っ赤にして俯いてしまった。少女は黙って歩きだした。しかしすぐに振り返り、呆然と立ち尽くしている成瀬に手を振ってついてくるようにジェスチャーした。まったく会話もなしで家に着き、少女はカバンの中からカギを取り出して開けた。
 「あがっていきなよ」
 「えっ、あっ、いいんですか」
 「……」
 「あっ、じゃ、じゃぁ……」
 玄関をあけるとボンが飛び出して成瀬を舐め回した。少女は何のリアクションも見せず2階へ上がっていき、自分の部屋のカギを開けた。しばらく2階の階段のそばから様子を窺っていた成瀬だが、少女に目配せされて、おじゃましますと部屋に入った。少女はすぐにカギを閉めた。電気をつけて出窓とカーテンを閉めると彼女は成瀬を見て言った。
 「キスする?」
 「えっ」
 「わたしのこと好きなんでしょ?」
 少年は身体をびくっと震わせ、喉を鳴らした。そして小さく頷き、次に首を横に振った。少女はふっと笑った。
 「あんたみたいなウリ専くんはさ、大学生になってもセックスどころかキスも出来ないわよ。そして人生の旬をとっくに過ぎてソープでドーテー捨てるみじめな未来が待ってるの」
 少年は今にも泣き出してしまいそうだった。少女が軽く頭を叩くと少年は慌ててカギを開け、階段を駆け下りて家を出て行った。少女はカギをかけなおしてベッドに仰向けに倒れ込んだ。

 次の日、意外にも成瀬は昨日よりも気軽そうに少女に話しかけてきた。
 「あの、本、好きなの…?」
 少女は成瀬の顔を一瞥して首を縦に振った。
 「何を読んでるの?」
 少女はうんざりした。彼女はただでさえ普段からイジメの標的にされないよう細心の注意を払っているのに、少年は教室の中で自分と話をしたがっている、仲良くなりたがっている、物足りない学校生活を豊かにしようとしている、その行動が私の安寧を脅かしていると思った。少女は本をしまって立ち上がり、教室を出ていこうとし、おどおどとついてくる成瀬に「わたしトイレ」と呟いて引き離した。その日、成瀬は放課後まで話しかけてこなかった。次の授業が終わったあと珍しく成瀬以外の同級生から話しかけられた。
 「ねぇ、サチコ。成瀬とつきあってんの?」
 3人でグループを作らないと挑発出来ない女子たちが絡んできて、案の定、とサチコは思った。
 「そんなわけないじゃーん。てかあいつは別のクラスの男と出来てるって男子が言ってたよー」
 女子たちに合わせて彼女も笑った。そうして今日もこのちょっとした危機以外は万事無意味に時間は過ぎた。
 放課後に成瀬が謝りながら話しかけてきた。手にわざわざ本を持っていてそれを話題にするつもりなのだろう。彼女は冷淡に言った。
 「近づかないでくれる?」
 「えっ…」
 「わたしまでイジメられちゃうじゃん」
 「あ…」
 「辛かったら自殺すれば?」
 少女の相手のことを一切理解しようとしない無謀な振る舞いは少年に画期的な変化を与えた。イジメを行っていた同級生たちでさえ働かせることが出来なかった優しい少年に眠る暴力装置を発動させてしまったのだ。
 「キミだって変わりたいくせに!」
 少年が激昂して放った台詞は意味としては平凡だったが、他人の言葉として突き付けられたとき、包丁のように鋭くなって少女の胸を突き刺した。まさに不意打ちだった。少年は苦しそうに荒々しく息を吐きながらも、その視線は彼女の目をじっと睨んでいる。彼女は人の顔の変わる様をここまで鮮烈に見たことは初めてのような気がした。
 「ご、ごめん」
 謝るしかなかった。
 「ごめんなさい」
 涙が溢れてきて止まりそうになかったので少女は思わず顔を腕で覆った。それでも少女はすぐに気丈に振る舞い、それ以上少年には何も言わず、廃棄場へ一人で向かった。
 フロントガラスのないオープンカーから子供のように足をボンネットへ投げ出し、指を拳銃の形にして海峡を行き交う貨物船の荷物に狙いを定め「バァン、バァン、バァン……」と撃った。少女は少年のことを想った。しかし彼女は彼に微塵の恋心も持っておらず、また誰かを愛したという経験もなかった。
 「愛って、何?」
 少年の想いが伝わり胸が疼いた。ジェット音が聞こえた。少女は拳銃を構え、旅客機に向けた。
 「バァン」
 車から飛び降り、ゴーグルと鉄パイプを持って何か面白いものを探す旅へ出た。あちこちに少女に破壊されたロボットの残骸が見受けられた。「みんな必要とされて生まれてきたはずなのにね」と言って鼻で笑った。どこからともなく「ゆりかごのうた」のメロディが流れてきた。少女が音のほうへ誘われるとロボットが生き埋めの状態でいた。
 「ゴジデス」
 少女は黙ってロボットを見つめた。ロボットは五時ですと言ったきり何も喋らない。疲れ切っていた少女が立ち去ろうとするとふいにロボットが喋った。
 「アスハアメガフルデショウ。ソレデハサヨウナラ」
 
 雨のあたる窓の横で本を読んでいると、また女子たちが彼女を囲んだ。少女は嫌な予感がした。
 「サチコさー、学校の帰りに廃棄場に行ってない?」
 どう反応しようかと迷っているうちに女子グループの一人が言った。
 「やっぱさー、友達いないとやることない?」
 幼稚なイジメだ、と少女は思い、笑って言った。
 「うちムカつく親父がいるからなるべく帰りたくなくってさ」
 しんとしていた。少女は何かまずいことでも言ったかと数秒前の記憶を遡ろうとした。
 「ねぇそのさあ、鼻でふんって笑うのやめてくんない?」
 少女は、あっと思った。別の女子も追従する。
 「あんたさ、自分は他人を見透かす側で、みんなのこと馬鹿だと思ってるでしょ」
 教室中がこのやりとりを見つめていた。もう今日からの標的は決まったらしい。少女は何も言い訳をしなかった。
 放課後、成瀬が話しかけてきた。
 「まずは謝ります、ごめんなさい!」
 少女はもう馬鹿な同級生に見透かされていた笑い方をしなくなっていた。そして目は真っ黒く、凝固していた。
 「いいんだ。それより自殺しろだなんて言ってごめんね」
 少女は成瀬のこれから一緒に解決策を見つけ出そうという意志のこもった精悍な目を無感情に覗きこんで言った。
 「こうなったら、誰か殺すしかないよ」

 少女は湧き上がる暴力衝動に急かされながら足早に廃棄場へ向かい、昨日のロボットを叩き潰すために鉄パイプを握った。ロボットは相変わらず生き埋めのままで、少女の傘で雨から遮られた。
 「ワタシハボウスイカコウデスカラヘイキデスヨ」
 少女は思わず鼻で笑い、すぐさまその笑いに自己嫌悪を感じた。
 「いや、もうそんなのいいから」
 傘を捨て、鉄パイプを振り上げた。
 「ヤメテクダサイ!」
 少女の腕が硬直した。ロボットが死に際に声を発するのは初めてのことだった。それにその言葉はやけに生々しかった。少女は傘を拾いなおして言った。
 「なに、あんた死にたくないの?」
 「ハイ」
 「あんた、生きてんの?」
 「イイエ、イキテハイマセン」
 少女はこの今までとは明らかに異色なロボットのことを思案した。少なくともこれだけコミュニケーションが取れるのは面白いと思った。よほど高性能のチップを搭載しているのかと考えた。しかし暫く間を置いても向こうから喋ることはなく、ロボットのプログラムの従順さとしょせんは命を持たない人工物だというつまらなさに落胆した。しかしやはりあの断末魔は単なる破壊防止機能とは違う、このロボットの一個の個性を感じた。
 「生きてんじゃないならさ、あんたここで何してんの」
 「ナニモシテイマセン」
 「それって死んでんじゃん」
 「イエ、サクジツワタクシハ」
 「ちょっと待って、聞き取りにくい。自然な声で喋って」
 ディスクの入れ替わるような音がしてロボットの声がナチュラルなものに切り替わった。
 「昨日私は貴方に時刻をお伝えしました。そして、今日雨が降ることも予報致しました」
 「それだけ?」
 「はい。現時点ではそれだけであります」
 つまり何も活動的なことはしていないのだった。確かにある意味では生きてもないし、死んでもいない。少女は思い当った。それってあたしじゃん。無性に腹が立った。
 「あたしがあんたのこと殺したいと思ったら、あんたは命乞いするだけ?」
 「そうです」
 「あたしさー、狂ってるからさー、いまめちゃくちゃムカついてんの。説得してみなよ。あたしの心を入れ替えるような過去の偉人の名言でも何でも引用してさ。どうせあんたみたいなロボットは屁理屈しか言えないんだろうけど」
 「わかりました。それではまず貴方のことを色々教えてください。私に話してください」
 少女はたじろいだ。確かに相手のことを知ること、話を聞くことは交渉の有効な手段だった。聞き手と話し手のまさかの逆転に、このロボットは人間のように頭がキレるのか、それともこれも単なるプログラムに過ぎないのか、もしかしたらただ純朴な人格設定なだけなのか、推し量ることが出来なかった。そして彼女は自分のことを話したくはなかった。
 「あなた面白いわね」
 ロボットは沈黙している。
 「五時過ぎてるわよ。お知らせしなくてもいいの?」
 ロボットの首が少し動く。
 「私はなるべく不必要だと思ったことは行いません。特に今のような非常時においては貴方が本当に必要なものを吟味致しております」
 少女は賢いと思った。いや、驚くほど高性能なロボットなのだ。教師に有名大学への進学を期待されている同級生や、街を歩いてる大量のスーツ姿の人間たちよりもよほど怜悧な存在と向き合っていると感じた。雨脚が強くなり、頭上の黒雲から荘重な雷音が鳴り響いた。
 「雷が危険です。降水量も20mm増加しました。早く帰宅したほうがいいでしょう」

 帰宅して服を着替え机に向かってパソコンを起動した。彼女は学校裏サイトの場所もパスワードも教わっていなかった。きっと今頃自分に関する話題で盛り上がっていることだろうとほくそ笑んだ。テキストファイルに「殺害リスト」というファイル名をつけて、同じクラスの生徒の名前を出席番号順に入力していった。まずは自分のようにイジメられ候補に入っているであろう日蔭者の生徒とアニオタたちに×をつけた。遠くから自分のことを不憫そうに見ているどっちつかずの善良そうに振る舞っている生徒たちにも×を。今日イジメを仕掛けてきた3人の女子グループには◎を、陰でイジメを先導していそうな2人の男子に○をつけた。殺害リストを作り、果たして自分のような女に短時間で何人の人間を殺せるだろうかと考えてみた。まったく想像がつかない。何の訓練も受けていない人間にとって殺人の際に自分を支配するのは狂気であり、テレビゲームのようなコントロール性や爽快感はほとんどないのだ。ミリタリーショップのサイトを開き、小ぶりで取り回しと切れ味の良さそうな軍事用サバイバルナイフを代引きで買った。三万円だった。胸をざわつかせる不快なエンジン音が近づいてきて、アイドリング状態のあと鳴り止んだ。ボンが嬉しそうに玄関へ走る。カギが開き、玄関の扉が開く。父親が一階にいるというだけで彼女は神経質な嫌悪感に苛まれた。

 次の日、机がだいぶ後ろのほうへ移動されていた。彼女は机を動かさず、そのままの状態で過ごした。そのことを唯一指摘したのは国語教師の木戸だった。彼は教科書を朗読しながら席と席の間を歩いて回り彼女の席のところへ来ると足を止め「席が離れているぞ」と言った。複数の生徒が笑い声をあげた。教師はそちらを振り返って「おかしいか?」と言った。授業が終わると彼女のところへ近づいてきてスケジュール帳を取りだしブラウンのメガネ越しに目を細め「明後日の昼休み生徒指導室にいるから何か相談したいことがあったら来なさい」と言って教室を出ていった。その様子を教室中が見ていて、少女は惨めさと悔しさに席を立って職員用トイレの横にある障害者用トイレにひきこもった。
 国語教師が指定した日まではイジメは鎮静化した。もちろんこれは生徒たちの作戦の内だった。
 「木戸は目が利くからうざってえよなー」とわざとサチコの傍に雑談場を設けて言うのだった。
 「あいつセンコーのくせに全然あたしたち信用してないよね」と女子生徒が男子に合わせて言った。
 「信用できるわけねえだろ」と言って男子が女子の頭を叩いた。叩かれた女子は驚き、一瞬呆然としたがすぐに「もー痛いじゃーん」とおどけた調子で言って周りに合わせて笑った。
 木戸の指定日、2人の女子が談笑しながら生徒指導室に張って、国語教師が部屋から出ていくまで霜村サチコが来なかったことを確認し、再びイジメが開始された。霜村はイジメを受けながら、自分が狂気に達するタイミングと誰を殺害するかを見計らっていた。彼女のカバンの中にはサバイバルナイフが入っていた。
 部屋に閉じこもったサチコは「グロ子のHP」を見ていた。グロ子は自称いじめられっ子の女子高校生で、そのハンドルネーム通り、暴力衝動と呪詛と背徳に満ちたグロい小説をたくさんアップしていた。「これらは全部社会を食って生きてきた私のゲロです。不愉快な気分になった人スマソ( ̄ω ̄;) 」と書かれていた。サチコは彼女の作品を面白いと思った。無論初めて読んだ時はその常軌を逸した異常さに驚き、ある程度慣れたあとも文章化されたゲロを見せられるのだから不愉快な気持ちではあったが、これほどまで世の中を呪い、悪意に満ち、救いようのない人間が自分の他にもいるのだという愛憎半ばする気持ちだった。少なくともグロ子のHPのゲストブックに「死ね」と書き残しているマジョリティーじみた人間たちとは違った。HPは数ヶ月前からまったく更新されなくなっていた。グロ子がいなくなるとゲストブックの書き込みが増え「グロ子死んだ?」「死んで正解」「俺ちょっとこいつの小説好きだったんだけどw」「もし本当に死んだとしたら救われんな…」「まぁ彼女(?)自体これだけ社会を呪ってたんだからある意味本望でしょ。乙」などという書き込みがされていた。
 明日、決行しようと思った。10万円で買ったゴスロリチックのブランド服に着替えてスタンドミラーに映してみた。酒の缶を開け「結局部屋の中でしか着なかったな」とひとりごちアルコールを流し込んだ。指で拳銃をつくり鏡の中へ向けた。サバイバルナイフを握ったまましばらく鏡の前に立ち尽くした。ナイフで壁紙を切り裂きながら「後悔しろ後悔しろ……」と呪い続けた。

 決行の日、一時間目が始まっても彼女の姿はなかった。彼女は生徒指導室へ呼ばれていた。木戸は、名前は言えないが同じクラスの生徒がサチコがイジメにあっていることを教えてくれたと説明した。サチコは成瀬だと思った。木戸と同席していたスクールカウンセラーは子供たちのイジメの陰湿さを話してみせ自分が無知な教師と違って専門知識や経験があり、理解と信頼のおける人間だということをサチコに示そうとし、親への連絡や同級生やこれからの学校生活への対応はなるべくサチコの意思や希望を尊重すると言った。ただし事態の根本的な解決を図るには、学校心理士と教師と親の連携が重要になるとも言った。サチコは同級生を殺し損ねたと思った。だが安心もしていた。ニュースで報道される同じ年頃の殺人犯のような人間離れした精神力や耐性を自分は具えていないと思っていたからだ。
 廃棄場に行くとオープンカーに男子生徒と女子生徒が乗って騒いでおり、周りにも男子1人と女子2人がいた。サチコはうんざりした。
 「ねー、いっつもここで何してんのー?」と笑って女子生徒が聞いた。サチコは彼らのほうへ歩いて行った。
 「別にー、海見たり」
 ポケットをまさぐりカギを握った。
 「これからさー、あたしたちもここに来ていいー?」
 サチコはそれには答えず微笑を返した。間の悪い沈黙を破るように、ハンドルを回していた男子生徒がクラクションを叩いて「プップー!」と馬鹿でかい声で叫び皆が笑った。もう一人の男子がサチコの顔をのぞきこむように見て「お前なぁ、木戸に助けてもらってんじゃねえよ。俺らに直接言えよブス」と言った。
 サチコは黙ってトランクのカギを開けた。
 「あー、こいつシカトしてるー」と女子が言いふらすように言った。
 サチコはふんっと鼻で笑った。
 「シカト? してねえよ。今からてめえらぶっ殺すんだよ」
 鉄パイプを振り上げて思い切り男子生徒に叩きつけた。しかし風を切る音がして地面に激しく当たった。
 「おい!」
 たった1度、人を殺す気で鉄パイプを振り落としただけなのに、息が切れて口の中の水分がすべて無くなった。これが並の人間が人を殺そうとすること、とサチコはやはり自分には無理だと感じた。サチコは相手を睨みつけた。いつの日か、成瀬が彼女を睨んだように。
 「ちょっ、あぶな。こいつ、マジ殺す気だったよ」と女子生徒が叫んだ。サチコは自分の放った紛れもない殺意で男子生徒が怖じ気づき、戦意喪失するのを期待したが、どうやらこの男は同級生たちの噂通り修羅場慣れしているようで、疲労困憊しているサチコと対照的に至極冷静だった。そしてその顔は恐ろしく残忍だった。やっぱ自分ダメだ、とサチコは思った。成瀬を誘惑したのも、彼が手を出さないとわかっていたからだ…。
 「フラフラじゃん。もう終わり?」
 手から鉄パイプが離れると同時にサチコは膝から崩れ落ち、嗚咽して嘔吐した。

 いつもより早く帰ったサチコの父親は、ボンに舐め回されながらまず玄関の靴を見て娘の不在を確認しほっとする。書斎に入り、机の上に見慣れない包装された箱が置いてあるのに気付いた。まさかとは思ったが信じられない気持だった。おそるおそる開けると中身はブランドもののネクタイだった。これを置いた思い当たる人物は一人しかいない。だが、それでも同僚や別れた妻などありえない人物を想像した。
 「サチコ……」
 父親は車に戻り、アクセルを踏んだ。

 女子生徒の一人がサチコに入れた一発の蹴りが他の生徒のスイッチを入れた。暴力はエスカレートしていき、まるで誰が最も残忍になれるかを競いあっているかのようだった。集団ヒステリー。男子生徒が鉄パイプを握った。そこに鉄パイプがあれば誰かが使わなければいけない当然の成り行きだった。突然、ゆりかごのうたのメロディーが大音量で流れ、生徒たちは首をあちこちに回した。
 「なにこれ」
 鉄パイプを持った男子生徒が音の発信地を見つけに行き、2人がそれについていった。「おい、ロボットだぜ」という声がサチコのほうにも聞こえた。
 「うるせえんだよ!」
 鉄同士が叩きつけられる音が響き、それでも音楽はなかなか止まらなかった。しかし段々と音が飛び、音量も小さくなっていき、とうとう何も聞こえなくなった。
 「よっしゃ、止まった」
 3人が戻ってきた。
 「お前も潰してやろうか?」と黒い油に濡れた鉄パイプを突き付けて男が言った。
 「裸になれ」と女がツバを吐いた。
 サチコは涙を流しながら言った。
 「私を殺してもね……貴方たちに未来はないのよ……」
 一瞬の間のあと鉄パイプが振り落とされた。
 
 ただならぬ叫び声と何か不穏な物音が聞こえた。サチコの父親はサチコが学校の帰りによくこの場所に来ていることを知り合いから聞いていた。こんな人気の少ない場所で何事かと思ったが、叫び声の中の痛ましい声は確かに娘の声に似ていた。そして父親はその光景を目にした。
 「やめろ!!」
 サチコは意識が朦朧とする中、何が起きているのか、どうして父親の声が聞こえているのかわからなかった。身体が動かず、耳もほとんど聞こえず、虫のように地面に這いつくばっていた。そして気がつけば、血だらけの父親が自分の名前を叫んでいた。
 「なに、お父さん……よく、聞こえない……」
 「サチコ、死ぬな! サチコ、死ぬな!」
 泣きわめいてる父親を見るのは初めてだった。サチコは父親の手を握り返し「わたしこそ、いままでごめんなさい」と言って目を瞑った。聞き覚えのあるゆりかごのうたのメロディーが聴こえた。地平線のギリギリまで低くなった夕陽がまぶたの向こう側からでも眩しかった。


散文(批評随筆小説等) 聖域なき未来に少女がみた世界 Copyright 済谷川蛍 2011-10-12 23:37:31
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