無病息災 生きている 小学編 4
Tシャツ

さて 意外と長いなこのエッセイらしきもの
でも 僕が過ごした 大事な子供時代の病院での生活も終わる。

父が僕の小学校の授業参観に行った。僕は小学校2年生になれないかもしれない。そう思っていた父。僕はもちろん学校にはいない。父は授業の最期に作文を読んだ。父は泣きながら私の息子は死にそうです。って最初に始めた。父の作文の内容は知らない。これからもきっと知らないほうがいい。
 ある日赤ん坊の泣き声が聞こえてくる。僕はそれが自分が泣いているのかどうなのかわからない。僕も泣くでも声はでない口だけ開けて、涙を流して泣く。悲しいような嬉しいような。初めての感覚だった。きっと生まれてくる時は、こんな感じなのかなって後で思う。父と母が駆けつけて、僕はもう一度泣く。一ヶ月以上寝ていた僕の体に筋肉はなく、間接も固まって全く動かない。テレビドラマなんかで1年寝ていた恋人が目を覚まして、立ち上がって感動的に愛を口にするけど。本当は立ち上がるどころか声も出ない。腕も指も何も動かない。でも涙だけは、今までに流したことがない位に出た。どんどん出て本当に止まらなかった。僕は一ヶ月以上のリハビリを続けて、ICUから一般病棟に戻る。それでも検査はある。注射をしたり点滴をしたり。僕はもうあんなひどい目にはあいたくないって学習する。僕のお医者はすごく優しい先生。でもちょっと髪の毛がさびしい。そのさびしい先生は優しく、ちょっとちくっとするよって注射を見せる。もう僕は騙されない。痛かったら言ってね〜。僕は知っている、言ったってこの人は聞く耳を持たない。優しいけどさびしい先生の頭を僕は思いっきり掴む。先生の動きが一瞬止まる。看護婦も母も父も、病室にいる人達がみんな止まる。でも一瞬だけ。先生は優しくてさびしいけど、強かった。さびしい頭の危険を顧みず、僕の体を押さえ込み、針を突き刺す。父と母は慌てて頭から僕の手を離そうとする。でも、下手にやったらさびしい頭がどうなってしまうか分からない。僕は大声でイターーイ!!!って叫ぶ。そうして先生は疲れた顔をしたあと、僕の顔を見てニヤッと笑う。元気がありすぎるな。次は元気の無くなる注射だって言って笑いながらお休みって言う。僕は真っ青になる。父と母も真っ青だけど、笑いがこみ上げそうになっているのが僕にはわかる。父はアパートを引き払って自宅に帰れる。手術する前に病室にいた人たちはもうあまりいなくなっている。みんな退院したのかな?それでも少しは残っているから、廊下の手すりを掴んで一生懸命友達の病室に向かう。僕はどんどん元気になる。入院したての頃のように暴れん坊になれる。また友達と会えると思うとまた元気になる。ある日、おねえちゃんがいない事に気がつく。おばさんもいない。僕はまたトランプがしたいし、できれば僕みたいに元気になったらポテトチップでもなんでも食べさせてあげたい。母に聞くと、おねえちゃんは北海道に帰ったって言う。死んじゃったから。棺に入って飛行機に乗っておうちに帰ったのって。僕は家に帰れたんだねとか、もう痛い注射とかしなくていいとか、そんな事でいいなぁとか、よかったねとかそんな気持ちではなくて。生まれて初めての気持ちが頭の中にできる。飛行機がお姉ちゃんの入った箱を載せて、空に飛んでいく。おばさんは飛行機の椅子に座っている。一緒の席には座れない。隣の席には座らせてもらえない。景色も見れない、もう何も見れない。僕等がいた病院を出る事すら見れなかったんだ。きっと僕はこのときに大人に少しなったんだと思う。あんなに辛いことばかりだったのに。家に帰るのにお母さんの隣に座っていられないおねえちゃん。座っていられてももう何も話せないし、食べれないし、思い出せないし、トランプもできない。同じ飛行機にいるのに、おばさんは一人で席に座ってると思うと僕は、どうしていいかわからない。僕はおばさんに会って言いたい。何を言いたいのか、全然分からない。でも、お姉ちゃんが棺で、おばさんが椅子に座って。もうこれ以上表現する言葉無いほどに、僕の心はズタズタで寂しくて悲しくて嫌だと思う。僕は空に飛んでいく飛行機が憎くてたまらない。おねえちゃんがかわいそうで、悔しくて。人が死ぬって言うことがどんなことなのか分かった気がする。本当に、死んだ人が飛行機で運ばれていくのかは知らないけど、僕はその時ずっとそう考えていた。
 もう少しおねえちゃんについて書いておこうと思う。最近母から聞いた話だ。彼女の病状は深刻だった。でも、お風呂に入る事は時折できた。でもそれは制限つきで、母親か看護婦に体を洗ってもらうこと。私は彼女が入浴しているのを見た事は無い。でもその光景がありありと私の前に浮かんでくる。じっと椅子に座って、鏡越しに自分の体を見ている彼女。蛍光灯に照らされた彼女の体は透き通っていたと思う。うっすらと体は光を放つ。とても弱く弱く。おばさんは、彼女の体をそっと優しく洗いながら、何を話していたんだろう。おばさんは泣きながら母に言ったという。まるでお人形さんみたいなのと。
 今私はおねえちゃんの顔をはっきり思い出せない。教えてくれたトランプの事も思い出せない。何を話せたのかも思い出せない。思い出せない事が多すぎて、覚えてないくせに悲しくなる。覚えていないから悲しくてしょうがない。私が言いたかった事がこのエッセイで書けたか分からない。自分でうまく整理できたかもわからない。でも空が青いとか、夕日が赤いとか。そんな普通の事が見れなかった人がいて、見る余裕も無くて、痛い辛いでいつの間にかそっと姿を消してしまう。こんな悲しい事はもうたくさんって。
 やっぱりうまく整理できなかったみたいかな。私だけじゃなくて、皆の子供時代にはきっと大人になった今じゃ、決して表現できない気持ち、もう感じることの無い気持ちがたくさんあるんだって思う。
 何度も書き直しました。思い出して泣きながら書いてました。もっと多くの友達も、そっとこの世から消えていきました。色んな人が僕を助けてくれました。励ましてくれました。そのつど僕は色んな事を考えて大人になりました。読んでくれた人ありがとう。


散文(批評随筆小説等) 無病息災 生きている 小学編 4 Copyright Tシャツ 2004-11-20 15:27:42
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