午後の枕木
たま
幾世紀もの家族がつながった半島の先端
岬はいつもそこにあって
空と海の高さを測り
見知らぬ明日の水平線を描いてきた
海を渉る鳥たちのために
半島に帰る人びとのために
灯りの落ちたいつもの部屋で
唇をあわせたままHが何か言おうとしている
しばらく逢えないの・・
どうして?
うちに帰るの。お盆も帰ってないし
いつもだけどHのくちづけは幼い味がした
いつ?
あした
台風来てるよ
だいじょうぶ。 あたし、晴れ女だから
夏の余熱を含んだまま雨が降る
すっかり日暮れが早くなってベランダの風鈴の音が
淡く痩せていく
今日は帰らなくてもいいよ
えっ・・、ほんとに?
うん。あした朝から見送ってほしいの
Hのふるさとがどこなのか、一度だけ聞いたことが
あったけど、返事のないままもうすぐ一年になる
どこまで見送ればいいの?
品川の新幹線ホームまで
Hの部屋で夜を明かしたのは一度だけ
ふたりが出会って三日目、戸越公園の駅前で呑みすぎ
て終電に乗り遅れたときだった
ねぇ、新幹線に乗ってどこまで帰るの?
今夜は聞いてもいいと思った
日本海よ。めっちゃ暑くて、めっちゃ寒いとこ
新潟・・?
ん・・、ちがう。 ちっちゃな半島があるの
それ以上、Hは語ろうとはしなかった
ねぇ、今夜は呑みにいこうか
よし、いこう!
でも・・、あしたの用意はできてるのかぁ?
うん。 できてるよ。あたし、身軽だもん
Hの部屋のせまいベッドで身体を半分ずつ重ね合った
まま、夢の中と外で何度かHと交わった気がしたが、
どこまでがほんとうなのかわからなかった
目覚めた朝に雨は止んでいた
午前十時を過ぎた新幹線ホームには、遅い朝日が差し
て若いカップルたちの笑顔があった
東京の線路はきらい・・
列車を待つホームで線路に視線を落としたまま、
Hがぽつりとつぶやいた
えっ・・、どうして?
コンクリートだから。あたし、木が好きなの
木・・? ああ、わかった
枕木のことでしょう、それって
うん・・。 それ
Hの気持ちはもうすっかり東京を離れていた
見知らぬ沿線の秋の気配を漂わせて、列車は静かに
ホームにすべり込んできた
ねぇ、キスして
やだよぉ、はずかしいから
そうね、もう若くもないしね
Hの背を抱きしめて素早く頬にキスをする
早く、帰ってこいよ
うん。
Hの幼い笑顔が跳ねた
さようならを育てるように、人は生きているから
いつかはきっと終の棲家にたどり着くけど
この街にふたりの棲家は見つかるだろうか
明るい日差しを浴びた午後の枕木がゆるく蛇行して
海辺の駅へとつづく
半島の先端
岬はいつもそこにあって
今日も
Hの水平線を描いているだろう