アナザードライブ
ねことら





ウルトラマリン。ここは深い海だ。部屋に積まれた延滞のDVD。小さな囲いをつくってきみと1000年間ねむってる。名前も忘れられた古生代のさかなみたいに。だれもたずねてこなかった。枯れた窓際の観葉植物。空のペットボトルがいくつか。わずかに差し込むひかりの波紋をくりかえしひろう。8月×日。9月○日。それをなにかのメッセージと誤認する。そして気づかないふりをする。しょくじは必要なカロリーを満たせばなんでもよかった。速度が大切だ。嚥下して消化して排泄する。そしてきみとくりかえし眠る。しらない町のながくなだらかな坂をくだっていくように。それは乱されることの無い祈りのような眠りだ。振り返らなければ見過ごしてしまう時のながれのなかで。とてもやわらかな覚醒言語できずつけあいながら、その反射反応を幸福とよんだ。


未来というものがあるのなら、それはメタリックな銀色のスーツを着たあたまの大きいにんげんたちのせかいだ。ぼくたちは年月の近い未来を想像することができない。未来といえば1000年後のことで、コンビニも、スターバックスも、郵便局も、JRも、ホワイトハウスも、ピラミッドも、自動販売機も、すべて死に絶えたおだやかな崩壊後の未来のことだ。現在は順送りにながされるスローモーションフィルムで、そこに声もなければ色もない。ぼくたちは事あるごとに祈っている。そしてその仕草を見られないように隠した。毎月口座に降りこまれるわずかな生活費をきりつめて、ある月は君の好きな観葉植物を買った。ドラセナ、モンステラ、シマトネリコ、ポトス、いつか枯れ果ててしまう背の低い緑に囲まれて。ここは深海であって密林でもあった。すべては限られた6畳のなかのちいさな秘境のものがたりだ。


鍵はそれぞれに手わたされていた。ロッカーの鍵。宝箱の鍵。教室の鍵。ドアの鍵。朝は開かれることを待ち、目を閉じて清潔な死体のようにナンバーがふられて並んでいた。どのタイミングではじめてもよかった。怖気づいていただけだ。そうして冷たい火にあぶられるように、次第次第ぼくたちはするどくなった。鍵を捨て始めた。ゴミを捨てに行くときは人目を忍び夜を選んで集積場まで走った。保存食ばかりを食べて暮らした。蝙蝠はくらやみに擬態する。ぼくたちは夜を食べ、夜をのみ、夜を排泄する蝙蝠だった。深海をとぶ毛の生えたさかなだった。


きみのことが好きなのか嫌いなのか、たまによくわからなくなる。それ以上に、このせかいのことが好きなのか嫌いなのか、わからなくなることがよくある。同音意義と同語反復。鏡の中で手を振れば鏡の中の像が手を振り返す。ぼくたちは、いつもさみしがっていた。青い肺で酸素の数パーセントを分け合ったり、瞳の虹彩のなかに三日月の短い弧を探そうとしたりした。薄い銀の硬貨をいちまいいちまい積重ねても、どこにもたどりつくことはないのに。あるいは、ぼくたちはぼくたちの何度目かの生まれかわりかもしれなかった。


空想。たとえばみんな幸福でいてほしい。たとえばみんな死なないでほしい。たとえばだれも涙を流さないでほしい。長い長い直線道路を一列に並んで等速で走る。そこには健全な生活がある。定周期の音楽がある。いつかそれでも背後から冷たい金属のハンマーが虫のように僕たちをころすだろう。僕たちは、それでも世界の果てが滝つぼにすいこまれることを忘れたふりして等速で走る。その努力を続ける。できる限り。


削ぎ落された影たちの堆積を地面として、いつか薄いカーテンを開けるだろう。そこにあるのは明度の高いホワイトの洪水だ。質量をもったひかりの束をだきとめて、ぼくたちは細い息をするだろう。少しだけ笑うだろう。世界は親切だろうか。どのような舗装がそれぞれの足元に施されているか、信じ切ってはいないだろう。空は薄っぺらく、剥がれそうに青いだろう。朝の空気はつめたく新鮮だろう。ふたりきり尖ったピンのように、危なっかしい素振りであるきだすだろう。アナザードライブ。それは仮定のものがたりだ。けれどどのような舗装がなされていようとも、速度の限界で走っていくしかない。終末のえらびかたは、だれにも譲り渡す必要は無いのだ。











自由詩 アナザードライブ Copyright ねことら 2011-09-19 23:53:05
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