そして君はもしかしたら鳥になるつもりなんだ
ホロウ・シカエルボク



苔生した石の階段を滑らないように注意しながら、八月の名残にべっとりと濡れた九月初旬の山道を僕らは登り続けていた。装着して三ヶ月になる義足の感触にも君はずいぶん慣れてきたみたいで、隙を見つけては僕を追い越そうとしてにやりと笑った。ようやく本気で夏を見送ろうと決めたツクツクボーシがアブラゼミやミンミンゼミを隅へ追いやって、背の高い木々に囲まれた小さな遊歩道は秋を迎える心得を煩く喋り続けてるみたいなシンフォニーに満ち満ちていた。「呼吸器が綺麗になる」と言って君は笑う。「変な感想」と僕は答える。そんな穏やかな弾丸を撃ち合って僕らは互いの心の命中率を確かめる。なにも変わっていない。君の脚が一本減ったくらいのことでは。

義足になってから歩くのが楽になったとこの三ヶ月の間に君は何度も口にした。「もちろんちょっとした技術とか必要で、それはすごく面倒くさいんだけどさ」と前置きしながら。「いろいろなバランスがうまく取れるようになった気がするんだ」「もしかしたら私の右足は初めから要らないものだったのかもしれないな、なんてさ」ふうん、という顔をして僕は聞く。そういう話は判るような気もするし判らないような気もする、と思いながら。「もちろん元に戻してくれるって言われたら戻してくださいって言うかもしれないけれどね(笑)だけどどうなんだろう、もしそんなことが出来たとしてももう私は一生ぎくしゃく歩いちゃいそうな気がするよ」「まあ、戻らないから言えるのかもね、こんなことは」

山頂を目指して僕たちはもう一時間以上歩いている。「疲れないよ」と僕の気遣いも待たずに君は言う。そして、平坦なところで立ち止まって右足に体重をあずけてみせる。「こうすると休めるんだ、結構」僕は吹きだす。笑った僕を見て君もにっこりする。「涼しいね」「そうだね、汗が気にならない」林の中ってこんなに涼しいんだね」なにかが草の中を駆け抜ける音が遠くでする。僕はさっきからそいつが何なのかを確かめようとしているのだけれどどんなに音のする方を探してもその姿は見つけられない。なにをキョロキョロしてるの、と君が尋ねる。僕は説明する。ああ、と君は手をひとつ叩く。「天狗なんだって、それ」僕は難しい顔をしてみせる。「天狗」「お婆ちゃんがまだ生きてた頃に言ってた、山の中で人についてくる音は天狗の足跡だって」「天狗」「そう、天狗」天狗か、と僕はなぜか納得する。そうすると草の中を走る足音は気にならなくなる。頂上まであとどのくらい?と君が聞く。よく判らないけどもう半時間もかからないんじゃないかな、登った人の話じゃ。「よし」君はソリ犬を元気づけるみたいに義足をポンポンと叩く。不思議とその音はアフリカンパーカッションの様に響く。何羽かの鳥がコンサートのようにその音にレスポンスする。「20分で制覇してやろう」「無理をするなよ」「無理じゃないよ(ターン)」「実は私はサイボーグなのだよ」「へいへい、じゃあ頑張りますか」「疲れたらおぶってあげるよ」「へいへいよろしくね」僕たちは一目散に頂上を目指す。一面に張り巡らされた枝々の間をくぐり抜けて、冷たい霧を撒き散らしながら降り注ぐ太陽の光は、何故だか僕に巨大な教会の聖堂を連想させる。近いうちきっと君は僕を追い越して歩くようになるだろう。



自由詩 そして君はもしかしたら鳥になるつもりなんだ Copyright ホロウ・シカエルボク 2011-09-05 23:17:55
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