情事
はるな

はじめて情事を体験したときそれは情事じゃなかった。情事と交尾はちがうことだとすぐにわかったし、わたしの体験するそれが情事ではないこともすぐにわかった。だから早く子供を作ろうと思った。交尾ならば結果をつくるべきだし、ものごとの結果を見るのは楽しい。幸運なことにわたしは女性で、父親が誰かを区別できないとしても成した子の母親はわたしに違いないと思った。でも子供はできなかった。なかなかできなかった。そうするうちにだんだんと行為が交尾から離れていくのを感じた。そこにたしかに愛情はあった。熱烈なものではないとしても。それは人格にたいする愛情ではなくて、身体への敬意だった。いちいちわたしは感心した。女性にも男性にも感心した。相手からの愛情は、とくには必要なかった。わたしはわたしを抱きたかった。そう考えるのは悲しいことだった。だから、いつも、できる限り熱心にわたしはそれらを行った。身体と身体であるべく。衝動を押さえ付けて物事を味わうのは、自分が大人になったのだと思えてたのしかった。我を失うことなんてなかった。我を失わなくても、いくらでも喜ぶことができたから。しかしそうではなくなるときがきた。困ると思った。でも実際にはそんなに困らなかった。行為のあとで、わたしはそれをうまく思い起こすことができなかった。それが情事なのだと思った。はかないことだと知った。わたしは彼の身体に敬意など払わなかった。観察することも、愛でることもできなかった。しばらくして薄ぼんやりと思い出してくるのは、手つきや言葉でなくシーツの皺ばかりだった。わたしは抱かれたのだと思った。強烈にそう思い、もう抱かれたくないと思った。すごく疲れてくたくただったし、身体をうまく操ることができなかった。それでいて欲求はちっともみたされていなかった。というよりもわたしはわたしの欲求の所在を知ることが出来なくなった。あんなにも仲良く、手なづけていた欲求。それがきゅうに手に負えないものになってしまった。そんななかでも彼以外の人と行為をするのはやはり安寧だった。わたしはそうしてある種の自信をみたした。やはり子供が欲しいと思った。わたしは情事にはむいていないのだと思った。
しかしわたしの子を成す能力は通常よりも劣っているらしい。生殖機関の未熟がどうとかと告げられた。わたしは生殖機関とは性器のことですかと聞き、医師はほとんど違いますと答えた。ほとんど違います、と。次に未熟ということはこれから成熟するんですかと聞いた。医師はその可能性はほとんどありませんと答えた。ほとんどありませんと。ともかくそういう風にしてわたしはほとんどのことを理解した。わたしの未熟な生殖機関について。わたしは子を作ろうとしたことを男性に言ったことはない。生殖機関が未熟なことに関しても言わないだろう。わたしはもう交尾としての性交をしないかもしれない。ではどうやって欲求をみたしたらいいだろう。わたしの欲求はいったいどういったものだったのだろう。情事なら交わすものではない。それは避けられず、ただそこにあるのだ。欲求とはむしろ関係ないものとして。いっそ暴力にも似たものとして。わたしは自分がいまからからに渇いていると思う。きっと渇いたままだろう。潤う必要を感じないから。たとえいっときの情事がわたしを濡らすとしても、そのすぐあとで一層渇くだけだということも知っているし。


自由詩 情事 Copyright はるな 2011-08-20 03:25:35
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