言葉のゆくえ——夜のめるへん
佐々木青
序―夜を歩く
私がつむぎだした言葉たちは、果たして私を救うのだろうか。暗鬱の底にある私の精神をそれらは果たして白日のもとに連れ出すのであろうか。私は語り出す。ゆるやかに、徹頭徹尾、あざやかに。
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木の葉をゆらしながら私に吹きつける風は、多くのことを話してくれる。
「色のはげたベンチでよかったらいつまでも座っているといい。暑い夏ならば私が肌を冷やしてやろう」
「もうお帰りなさい。あなたに愛をおしまぬ人がどれほど胸のつまる思いをしていることでしょう。さあ、何もなかったようにお帰りなさい」
なおもやさしげに私のまわりでささやきあう。
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鳥たちもさわぎはじめた。彼らが何を言っているのかは私にはわからない。あまりに生活感のある言葉は私の耳には届かない。そのかわりに公園の片隅でねむっていた猫が起き出して来て私の方へとやってきた。深い眠りの中心にある公園にやってきたよそものを警戒するようにして。ところが彼は不思議に光る瞳で私を見つめ、憐れんだ。
「どうだ、よかったらこの公園にいてもいいんだぞ。ただ、あのやかましい鳥たちをどうにかしてくれたまえ」
私は鳥たちに話しかけられるほどに背は高くないし、公園に住むつもりなど毛頭ないので、猫の好意を丁重に断って、風が憩う公園を辞した。
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かくて私は座る場所をなくした。夜の商店街は、ただの店じまいなのか、いつもシャッターをおろしたままなのか分らないほどに静かで、歓迎されないまま私はしずかに歩きだした。
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相変わらず風ばかりがその存在を主張している。思えばシャッターに目がいったのも、シャッターを叩き鳴らしながら通っていく風のせいだ。ああ、風というのは案外でしゃばりなのだと、このときはじめて気付く。
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まっすぐ歩いて、いろいろな路地の暗闇を見てふるえる。ときに妙な虫が激突してきて、「おっと、ごめんよ!」と先を急いで飛び抜けて行った。彼はすくなからず今の私より忙しい。
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私は頭をかきむしりながら夜の街をねり歩く。街灯が力なく点滅している。ちょっと変な色になって。
「そこの、細っこいの」
街灯なんぞに細い呼ばわりされたくはなかったが、私は蛾がたかっているその老いた街灯を見上げた。
「あんた、どこに行くんだ。あんたみたいのがいるからこのおれがいつまでも光ってなきゃいけないんだからな。おかげでもうすぐ旅立ちそうだ。おい、はやいとこ電球かえるように言っておいてくれよ。こちとら瓦斯燈時代から早数十年、光りっぱなしだよ。おれの苦労、わかってるのか。で、どこ行くんだ。あんたみたいのがいるからおれは・・・・・・」
どうもよく喋る街灯で、私は無視しようとした。しかし、彼も風前の灯のようだったから、しばらく付き合うことにした。
「なんだ、どこに行くのかもわからないでこんな夜中にブラついてやがるのか。いい身分だな。なんだそれ、鬱なのか。え、昔はよ、鬱だとか病んでるなんて言葉はなかったからよ、おれがちょっと暗くなると、すぐに新しい電球に変えようとしやがるんだよ。たまには暗くだってなりたくなるだろ。困ったもんだよ。死にたくなきゃ暗くなるなってんだよ。だがよ、今じゃ鬱だ鬱だってまわりもやさしくなってよ、こうしておれがちかちかして暗くなっててもほっといてくれるんだよ。こちとらほんとに死にそうなのにな。はは、ほっとかれんのもよ、ちょっとさみしいもんだぜ。―ところでよ、あんた、どこ行くんだ」
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聞けば話をしたのも久しぶりのようで、私が立ちどまったのが嬉しかったらしい。あとでたくさんお礼を言われた。私の夜中の散歩が、老いた街灯の魂を救うことになったのは、なんとも不思議なめぐり合わせと言うほかない。しかし、彼は少し呆けながらも何度も私に尋ねてきた。「どこ行くんだ」と。それは私にも分らないから、街灯と別れたあとの私をしきりに苦しめた。ううん、なぜ外に出ようと思ったのかすらわからなくなってきた。それはつまり、はちきれんばかりの憂鬱が風や鳥や、猫や、虫や、はたまた老いた街灯によってどこかへ飛んでいってしまったということなのだろうか―あるいはそれらは姿をかえて―。
結―眠りまで
思えば少しねむくなってきた。私がつむいだ言葉たちは、私に新しい角度で現実を見させ、確かに私を救ったかもしれない。しかし、私を白日のもとにさらすのは言葉たちが帰ったあとの眠りの役目だ。私は目を閉じ、最後の言葉を夜に浮かべる。「おやすみなさい」