太陽を借りた黒犬
シリ・カゲル
6ヶ月と13日間、待って待って待ち続け
ようやく巡ってきた
太陽を借りる順番。
昼休み、
市の職員から職場に電話がかかってきたとき
黒犬の奴は本当にうれしそうで
その日の午後の得意先回りでは
うれしさのあまり、出されたアイスコーヒーを
テーブルの上に豪快にぶちまけたくらいだった。
もちろんプレゼン資料はぐしょぐしょ。
あわててテーブルを拭く
黒犬の顔は笑顔でぐしゃぐしゃ。
太陽を借り受ける当日、
黒犬は洗ったばかりのシャツに袖を通し
iPodからはお気に入りの
ブラックミュージック。
市の職員から太陽をじかに手渡されたときは
それは、それは誇らしげな気分だった。
狼みたいだからやめなさいと
母犬にさんざん言われ続けた遠吠えを
市の応接室で思わずしてしまうくらいの
それは、それは痛快な気分だった。
太陽を手に入れてからの黒犬は
どこへ行くにも肌身離さず
自分でフェルトで作ったポシェットに
いつも太陽を入れて持ち歩いていた。
それからしばらくは日々是好日。
黒犬の営業成績は旭日昇天の勢いで
いまだかつて僕の部の誰もが成し遂げられなかった
ミシュランの星付きレストランの受注も奴がとった。
加入している野球チームでの成績も急上昇で
都大会2回戦、
相手の4番のホームラン性の当たりを
フェンスによじ登ってスマートにグラブに納めたときには
総務課の恭子ちゃんも目からハートが飛び出していた。
次の課長補佐は黒犬か
社内の出世レースで頭ひとつ飛び抜けたかに思われた黒犬。
でもやっぱり太陽は太陽。
地球の33万倍の質量のある恒星。
太陽系の質量の99パーセントを占める星。
それが身近にあるもんだから
次第に重力バランスがワークライフバランスに影響を及ぼし始め。
プライベートよりも仕事が忙しくなった黒犬は
だんだんと総務課の恭子ちゃんとデートする時間が少なくなり
野球部の練習にも顔を出さなくなって
やあやあ我こそはストレス性の胃腸炎
おっとそちらさんは慢性的な睡眠不足
そしてついに、
ミシュランの星付きレストランに致命的な発注ミスをしてしまった。
それでもまだその時は
ポシェットの中の太陽は燦々と輝いていたんだけど。
ある朝、
職場のパソコンに届いた悪い報せ
〈営業部黒犬殿の御母犬堂は昨日、皮膚癌で永眠されました〉
あれからも町には変わらず
雨が降って、風が吹いて、
花はそよぎ、木々は緑を濃くしていく。
そう言えば昨日の晩、
商店街の肉屋のコロッケをかじりながら僕は
電器屋の前で黒犬とすれ違ったよ。
黒犬はすっかりやつれってしまって
目の下には白いクマ。
お気に入りのポシェットには雲散霧消
もはや太陽の姿はなかった。
僕は黒犬に声をかけようと思ったけれど
なんだかまだその時期ではないような気がして
ただコロッケのソースが地面に滴るに任せていた。
甘いウスターソースの池に群がる大きな黒い蟻たち。
黒犬は商店街の果てに
ただの黒い点となって消えていく。
まるで明け方になって失われていく星の光のように。