食人野
salco

見上げると
大きな夕月が青空に透けていた
東北の沿岸部が沈下したという報道のせいか
月面のいつもの痣がパンゲア大陸に見えた
再た大震災となりましたが、Sくん
どこかで元気にしていますか
君もそろそろ三十でしょう?
まだあの再現を記憶野で見ますか

十代の一時
私もかつての君と似た欲望を持っていた
暴力の快楽を奸計の愉悦で夢見ていた
蹂躙、凌辱、拷問、剥奪、損壊、隠滅のストーリー
殺した誰かの頭部を台所にある、
アルマイトの大鍋で煮ている
苦労して切断した胴体や四肢を硫酸で溶かす
繰り返し白昼夢に見た
あれは支配欲の白熱、リビドーの沸騰だったのだろうか
嗜虐性向の属性はそこに在るのか
掌握の充足、征服の達成感は人間の欲望にとっても
最も晴れがましい報酬だ

事件以来
私達の違いについて折に触れ考えて来た
例えば煽動と殲滅について
アンネ・フランクから黒い霧を経てナチズム概論を浚い
イスラエル建国とパレスチナ民の相克で終了する並盛りと
我が闘争で満腹した君との違い
バモイドオキ神とエグリちゃんを世界に招いた君の弧絶と
頭蓋の内外を使い分ける手管で満足するに至った自分
この分岐角度はとても大きい
嵐の思春期を通過できた私はフツーの子で
というより直観像素質も持たぬ私は結局
女の子だった
寄生体を持つブランシュ・デュマみたいなものだったのだろう
征服欲はつまらぬ勝利で、破壊欲はセックスで満たされ
快楽欲求を小動物殺しや殺人衝動の醸成に託す事なく
フツーに歩いた

非行事実がどうとか
怪物的に愚鈍な母親への愛憎とか
君の病理はそんなつまらぬ表層ではなく
殺意の転位を見出せなかった自我形成に問われるのだろうけど
本当にそれだけなのか
今でもたまに
あれは夢だったのかと疑う時があるよ
沸騰にゆらゆら舞う黒い毛髪
熱変性した蛋白質が硬化し皮膚がふやけて剥離するさま
硫酸に激しく反応する肉が発する水蒸気の悪臭
これほど鮮明なのは何故だろうと
ひょっとして自分は
防衛機制を働かせているだけなのではと
昔はその都度とても不安になったものだった

誰とも知らぬ死体を埋めた庭が更地となった折に
何も出なかったのだから、やはり確実に夢だったのだと
必ずしも言えないのは
そこに埋めたという認識に運搬の過程が丸ごと欠落している
実は遺棄が別の場所で
単に未発覚か、今に至るも未解決なのではと
理科準備室の薬品棚は小さな南京錠だった
硫酸なんて授業で使わないからバレはしない
勿論、捏造記憶では糊塗し切れない年月が経過しているのは
非合理であり
後に見聞きした犯罪の数々で単純なヴィジョンを粉飾した可能性の方が
高いにせよ
確信という、自己認識の妥当性を傍証するものは
何一つ無いからね


自由詩 食人野 Copyright salco 2011-07-25 00:18:04
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