お知らせ
salco

 先月の五月三日、会員の小野一縷さんがお亡くなりになられました。
慎んでご冥福をお祈りし、ここに皆さまへお知らせ致します。


 ご本人の承諾なく皆様へお知らせしてよいものか、ネットの上でも故人
にしてしまって良いのか、自分にそんな権限のあろう筈がなく悩んで来ま
した。未だ現実を受け入れられない状態でもあります。
 いずれハンドルネームと作品は遠隔へ押しやられて行き、膨大な文書群
に埋没します。一方で、新参者の私自身、奥主榮氏がЮ(ユー)氏の批評
を通じて紹介下さった事で、モーヌ。氏というかけがえのない存在・作品
群を知り得た経験を持ちました。もうひとつには、最前の投稿中断後から
彼の体調を気にかけている方も中にはいるでしょうし、作品へのコメント
にレスポンスが入らないのを多少でも気になさっている方もあろうかと考
えました。最終的に、知友の端くれとして何をすべきか考えた時、ご本人
の代弁者となり得ない以上に、事実を押し隠す事はできないと考え、四十
九日を期に独断でご逝去をお知らせする事に致しました。尤も、主格に何
ら関与せぬ不在も亦、早晩掻き消えますが。小野さんごめんね。


 投稿を中断するとのご挨拶を頂いたのが昨年の十一月でした。併せて
「詩人T(掛川享嗣)」氏の大ファンである私にサイト『スライト・コー
マ』のURLと、最後に書いたと思われる詩を教えて下さいました。それ
は寂しい静謐と恍惚に貫かれた、いつになく柔和で透明なもので、それだ
けに「余りに痛々しくて」投稿できないとの事でした。
 過分なご配慮への御礼と、のんびり休養して下さるよう返信申し上げ、
追って年末にご機嫌伺いかたがた改めて御礼を申し上げて以来、時おり私
信のやり取りをするようになり、この二月からはEメールで、或るきっか
けで四月からは電話でお話するようになりました。

 現在は削除されている散文『只の酔いどれ者が唯の詩人に成るまでのユ
ラユラ航跡〜』をご記憶の方もいらっしゃるでしょうが、小野さんは「ジ
ャンキー」で、統合失調症との診断も受け、禁断症状と重い鬱に日々苦し
んでいらっしゃいました。
 心身を引きずるようにして週日を授産施設へ通い、黙々と作業をする生
活の中で、親友Tさんのサイトを運営管理し、託された最終稿を当フォー
ラムへ投稿するのが、生ある彼の大切な務めでした。
 殊に故人の内面と向き合う校正作業は精神的支柱であると共に、多大な
エネルギーと消耗を要する労作でした。(少なくとも現時点で)クスリ(
合法薬物)を入れた状態でないとできない。それを知らされたのは、この
三月でした。「詩読が楽しい」「素晴らしい詩人が何人かいる」と驚きに
心を弾ませながら諸作品を読むのも、ポイントを入れ感想を述べるのも、
その延長線上でした。ですから連続投稿やコメントは服用量と頻度を示し
ていました。勿論、私信や私を相手の通信、通話もです。小野さんはそれ
を広義に「トビ」と称していらっしゃいましたが、「普通の人の普通な状
態」でいられる唯一の時間なんです、と説明なさいました。

 それが連日となると反動が来るのは目に見えていましたから、Tさんの
世界に没頭せず、間隔を空けて投稿するよう注進しましたが、そのつど同
意はしても勢いは止まらず、やがて体の方が先に参ってしまい、ひどい禁
断症状と精神の疲弊でどん底状態に陥ってしまわれるのでした。私は薬物
中毒がどういうものか知りませんでしたから、自制の注釈など何の意味も
為さないのを分かっていませんでした。
 素晴らしい作品にポイントを入れ、その感動は表明しなければという律
義なご性分もこうして心身に負担を強いましたが、常人ならばジョーク混
じりの社交辞令程度でも、とても孤独だった小野さんにはそうした接点が
楽しかったという側面もあったでしょう。とりもなおさずそれは、常日頃
の何でもない会話、対話という刺激、「快楽物質」を如何に世人が随意に
享受し、情緒を支えられているのかを反照するものでもありました。彼
は、薬利が無ければそんな場にさえ接する方便が無かったという事です。

 この薬物中毒、精神疾患に対する無理解に小野さんは折々傷つけら
れ、且つ諦念の裡に逼塞していらっしゃいましたが、とりわけジャンキー
の内実やドラッグそのものに対する無知には憤りを抱いてらっしゃいまし
た。私を含めた外野に対する「お前らに何がわかる」、或いは遊び半分に
手を出しただけで「知った風な口をきくな」という怒りです。
 最後となった投稿『チンカス詩人への「当て付け散文」』も、よほど腹
に据えかねていたのでしょうし、あれだけの攻撃性を発揮するにはいつに
ないエネルギーを要した事でしょう。会話の際にもTさんの詩を冒涜する
ような揶揄への怒りを口にされていました。

 又、三月十一日以来は大震災の犠牲者、被災者に心を痛められ、十余年
を暮らした仙台の友人達と連絡が取れず、安否の確認ができない事を大変
悔やんでおいででした。そのせいもあってか、詩人を標榜しながらトラウ
マや喪失に何故心を寄せられないのかと、チャリティー活動をしたとはし
ゃぐような心性についてもお怒りでした。何ら悪気の見当たらない当該散
文へのコメントを早々に更新なさったのは、迎合ではなく、他人の心を傷
つけたくない小野さんの優しさだったと私は思います。自身が非常に傷つ
きやすかった。 
 意見対立や論争を嫌ったのは、激昂すると思考が混乱し、震顫が起きる
ご病気のせいもありましたが、余震の揺れが目眩に転化するほど神経が脆
弱になってしまったように、元来が巷間の「普通の生活」に耐えられない
ほど繊細な人だったからでしょう。そうした、毀損を厭う優しさ(ひ弱さ
)、思いやりは、私への応対にも散見されました。「そんな事ありました
っけ?」「いや、何にも感じませんでしたよ」等と。
 受け取り方(神経構造)もポリシーも違う私は、「ま〜、人の考えは色
々だし、自称詩人なんてどーせ自分大好き人間の自己顕示なんだからさ
ー、被災地の役に立ちたいという志だけ汲んであげればいいんじゃん?」
といった風に底意地悪く提案しましたが、何でも笑い飛ばし薙ぎ払う無神
経者と違い、最後にお話した時にもこだわっていらっしゃいました。
 或る些事についていつまでも看過できない、こうした拘泥は、もしかす
ると「普通」の人と何変わらぬ調子で会話をしていた彼の症状だったのか
もしれません。これは、心情が損なわれれば誰しもそこから長らく脱けら
れないのと同じで、「健常者」との違いを述べ立てたところで意味ありま
せんが、克服の道筋を仮定した場合、こだわりがダウンスパイラルの入口
となった時に、「病者」では行き着く先と導き出される結果が異なって来
る事例があるのでしょう。


 小野さんは子供のような儚さと、老成したような温厚を併せ持つ、とて
も静かな人でした。「静か」とは、本音をひた隠す「遠慮深さ」、又は
「消極性」と言い換えてもよいかと思います。今にして思えば、それは彼
の悲しい武器でもあった。最後にお話した折に「僕は嘘つきだ」とおっし
ゃっていました。
 自殺未遂や病気疲れ、処方薬によってソリッドな感情表出が削がれてい
た感はありますが、達観したように恬淡で、欺瞞や虚勢・虚栄とは全く無
縁の方でした。それは世捨て人、抜け殻としての境地だったでしょうし、
自我を放棄するような状況へ追い込まれた事情にも与るのかもしれませ
ん。在らざる人の茫洋、とでも言えばよいでしょうか。
 それでもプロフィールでお書きのように、服と特にシルバーアクセサリ
ーを集めるのが大好きで、行きつけの古着屋さんやネットで買った品物の
画像をその都度、嬉しそうに送って下さいました。
 こうしたてらいの無さで分かるように、端正なお顔の裏に感覚の鋭い辛
辣な知性を隠す一方で、とても純粋な人間性を保持していらっしゃいまし
た。ささやかな蒐集熱は、所有欲というより寧ろ、愛車のベスパと共に余
暇の目的を与えてくれる楽しみ、稀少な喜びなのだと察せられました。
或いはそれは、何もかも失くした人の、外界との生活交流の繋留点であっ
たのかも知れません。

 こんな風に人と話すのは何年ぶりだろうと喜んで見せて下さいました
が、先行きの暗澹は変わらないと判り切った上での事でした。何かの話題
で「初めて笑った」と洩らされ、すぐ「五、六年ぶりじゃないか?笑った
の」と私に分かるよう言い直され、自分で自分に驚いているようなご様子
だった寸時を思い出します。それは同時に、それまでの「楽しい」は彼に
とって、相槌を打ち返答を連ねるだけの時間に過ぎなかった、という独白
のようにも受け取れました。
 私の「善意」なる矜持をくすぐってくれた、この「初めて」「何年ぶり
」という状況を作り出したのが悪かったのだ、と今は思っています。
 ご家族と医師、職場の所長さんによって保護されて来た日常、その弧絶
のサークルに、何の考えも知識もなく闖入して秩序を乱した自分の責を痛
感しています。私のような図太い、たわけた俗物との知遇が背中を押し、
或いは最終的な失望へと手引きしたのは間違いないところです。
 苦しいだけの毎日、希死念慮を何とか抑えつけながら、静穏な老境へ泳
ぎ着く事を希望していた指先を無碍に扱い、殺してしまった。これは生涯
負うべき罪過として向き合って行かねばなりません。

 皆様にはどうか、小野さんが寄せたコメントを通して、御作に対する彼
の称賛・共感、皆様に対する敬意・好意、そこに篭った声と体温を懐かし
んで頂ければ、と願います。
 又、これからも小野さんが維持管理に心を砕き、文字通り砕身していた
『スライト・コーマ』をお訪ね頂ければ、どんなにか喜ぶだろうと夢想し
ます。カウンターを気にしていらっしゃったから。「今日は6でした」
「最近は1ばっかりデス」と。
 ついでながら、「自分はプレッピィかモッズで原付しか乗れない。Tは
どちらかというとロッカーで、バイクに乗ると飛ばし屋だった」と回想な
さっていた、小野さんの真意がそこにあります。

 私の手許には、愛猫マメちゃんを始めとする生活の断片と、透度の高い
美意識を示す数十枚の画像の他に、或る日「感謝をこめて」と送って下さ
ったガンプラの「ゴッグ」、それが輸送中に壊れぬようそっと掛けてあっ
た二枚の女性物タオルハンカチ、アクセサリー、様々な天然石の小物、ス
テンドグラスのキャンドルがあります。これらはメールのやり取りをする
ようになって唐突に届いた、寒い国からの贈り物でした。箱を開いた時、
「心の部屋」と謂った印象を受けました。ギフト用の緩衝材が寝藁のよう
に敷き詰められた配列を崩すのが何か躊躇われたので、今もそこから出し
入れしています。シルバーのネックレス三点は、コレクションの画像と同
じものでした。殆どがご自分の持ち物を下さったのです。
 それから愛車に貼ったストーンズのステッカーに着目して騒いだ私に後
日、「サプライズで…」と贈って下さったペンダントは、多分わざわざ買
われたのでしょう。チェーンが亜鉛だったので、と金属アレルギーを慮っ
てご自身でレザーストラップに直して下さったものです。
 最後は、お母様が用意なさったというお菓子に同封して一冊の本を送っ
て来られました。太宰治がお好きと伺っていましたから、こんな大切な本
もらっちゃっていいの?等と御礼のメールをしましたが、返信はありませ
んでした。届いたのが五月二日の夜、翌日の昼前にその意味を知りまし
た。
 カバーの少しく日焼けした『師 太宰治』(田中英光著 津軽書房刊)
は、小野さんらしく綺麗に読まれ、ページに汚れや折り癖ひとつ無いもの
でした。ただ冒頭の十ページ目に一箇所だけ、ボールペンで傍線が引かれ
ていました。それはドストエフスキーの言葉をもじった若かりし著者の信
念、「いちばん苦しむ者が、いちばん勝つのだ」という部分です。


 これは訃報であり、勝手ながらポイント、ご感想等は御遠慮下さい。
ご病気については既出の御作から引用し、会話内容については許容範囲内
と判断できる限度に留めたつもりです。
 尚、言わずもがなですが、私達の間に友情以外の、邪推に値するような
関係はありません。これは小野さんの名誉の為に申し添えて置きます。
一縷さんは唯、「知己」「友人」を求めていたのであり、ささやかな援護
を目指していた当方が愚鈍と無慮の為に、理解の途上で取り返しのつかな
いしくじりを犯したという事です。
 最後に、詩など書く以上は殊さら感受性の強い、細やかな心性をお持ち
の方々へは多少なりとも打撃となってしまうであろうと重々承知の上で、
訃報を投稿致しました事を、心よりお詫び申し上げます。


                      二〇一一/〇五/一七


詩人Tのサイト「スライト コーマ」
http://www2.odn.ne.jp/~cfa19930/index.htm


散文(批評随筆小説等) お知らせ Copyright salco 2011-06-20 19:51:07
notebook Home 戻る