「名」馬列伝(22) ゴールドプルーフ
角田寿星


川崎記念は、アブクマポーロの独壇場であった。
直線入口で馬群に包まれそうになったのも束の間、外に持ち出すと、他の馬が止まって見えるほどの末脚を繰り出し、最後はほとんど追うところもなく、楽勝。
彼はといえば、道中3番手から4角入口でいったんトップに立ち、粘り込んで見せ場のある3着。
前走、古馬緒戦の新春グランプリでようやく重賞を勝った彼の、全国デビューであった。
川崎記念の3日前には、メイセイオペラがフェブラリーSを快勝、地方在籍馬として初の中央G1勝ちを成し遂げていた。

父は、東海公営で23戦20勝、2着3回。フェートノーザンやオグリキャップを差し置いて東海最強とも噂された大物であり、父がようやく送り出した期待馬ということで、人気も高かった。
2歳暮にデビュー。3歳になって強くなり6連勝、重賞3着を挟んで4連勝。そして川崎記念への出走となった。

戦法は、典型的な先行逃げ切り。といってもテンのスピードは突出してないので、先行集団になんとか張り付いて追走。
直線に入ってからが彼の持ち味で、とにかくど根性で粘る粘る。
彼が勝ち負けに絡むと、大抵の場合はゴール前まで併走状態、首の上げ下げ勝負になるので、とにかく盛り上がった。
その代わり瞬発力に欠け、逃げ馬に離されたり、ヨーイドンの切れ味勝負になると、どうにも分が悪かった。

それからの彼は、ダート交流重賞の常連となる。4歳初めの川崎記念から8歳のさきたま杯まで、実に29戦。大崩れすることはなかったが、とにかく勝てなかった。
初のグレード重賞勝ちは6歳秋の全日本サラブレッドC、18度目の挑戦だった。2番手から4角先頭の逃げ切りで、彼にしては楽な競馬。勝つ時はこんなものである。
7歳の川崎記念は惜しかった。ゴール前、ハギノハイグレイドといつもの首の上げ下げで競り合うなか、後方からリージェントブラフがアタマだけ差してゴール。タイム差なしの3着。
といってもハギノハイグレイドは出遅れ、1番人気プリエミネンスは前が詰まり脚を余していた(さらにエモシオンは主催側の登録ミスで競争除外)。これだけ綾があっての負けだから、仕方ない。

8歳、東海S。中央重賞は初挑戦だが、中京のコース自体は経験済みである。
1番人気のプリエミネンスがゆったりとしたペースで逃げ、彼は2番手を追走。うまく前に行けた。4角手前でディーエスサンダーが捲りを打ち、3頭の争いになる。
彼が差を詰めようとした時に、ディーエスサンダーが内に切れ込み、一瞬追い出しが遅れ、プリエミネンスは進路が塞がってしまう。彼はアタマ差2着で入線したが、ディーエスサンダーが3着降着となり、繰り上がりで1着、中央重賞制覇となった。
鞍上の丸野勝虎騎手は「あの斜行は彼も影響を受けた。斜行がなければ文句なく勝ってたはずなのに棚ボタみたいに言われて悔しい」と語った。
あの時の彼の脚色はよく、プリエミネンスは完全に捉えていたので、あとはディーエスサンダーとの一騎打ちだったろう。おそらく騎手の言うとおりだろうが、意地悪い見方をすれば、例によって首の上げ下げ勝負になったかもしれない。

9歳の梅見月杯を最後に引退、鹿児島で種牡馬入りしたが、気性が大人しすぎて種付けにまったく反応せず、産駒はまだ一頭もいない。現在は種牡馬を引退し、繋養先で種付けの練習中である。

が、昨年秋。同僚の種牡馬マルカダイシスの怪我で、種付けの機会が訪れたところ、彼がその気になって、めでたく受胎したのだ。実に6年越しの種牡馬復帰である。風の噂では無事産まれたそうで、今年も2頭に種付けしたとのこと。
こういうことがたまにあるので、競馬はやめられない。中央は無理でも、祖父と父の活躍した東海あたりで、元気に走ってほしいものである。


ゴールドプルーフ  1995.5.1.生
          54戦16勝(中央2戦1勝、地方52戦15勝)
          主な勝ち鞍:東海S(G2)
                全日本サラブレッドC(G3)
                梅見月杯、新春グランプリ
                名古屋大賞典2着、川崎記念3着など



散文(批評随筆小説等) 「名」馬列伝(22) ゴールドプルーフ Copyright 角田寿星 2011-06-15 23:17:31
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