下方修正だけの人生
はだいろ
ぼくの人生は、ずっと、
下方修正のみしてきました。
生まれたときには、かわゆさのあまり、
きっと知らない国の王子様として拾われるはずだったに、
違いないのです。
みっつのころにものごころついて、
川沿いの団地のアパートの庭で、
はなたれのガキにひっかかれて泣いていることに気がつきました。
いまでもさかあがりはできませんが、
外国へ出かけた絵描きさんの家にうちの一家が居候することになって、
その立派な門に座らされて、
大泣きしている写真があります。
それでもサラリーマンのお父さんと、
サラリーマンの娘であったお母さんの夢は、
ぼくが白衣を来たりっぱなお医者さんになって、
世のひとびとにまばゆい尊敬を集め、
ついでに札束もいっぱい集めているすがすがしいようすでした。
小学校一年生の通知表に、
調子にのりやすく、落ち着きがありませんね。
と書かれて、
おしゃべりだったら弁護士でもいいわね、なんて、
ぼくは人の病気にかかわりたくもなければ、
人の悪事についてわざわざ言い訳を考える気もなく、
あえて言えば、
スーパーカーになりたかったのです。
スーパーカーを乗り回すようなお金持ちになりたいのではなく、
スーパーカーそのものになりたかったのだから、
あまり利口とは言えません。
小学校五年生ととき受けたIQテストの数値が異常に高かったので、
東大も夢じゃないどころか、東大しか大学ではないくらいに思わされ、
塾にも通わされ、
でもぼくはカンニングばかりしていました。
ぼくは思うのですが、大事なことは、
困難な事態や、絶体絶命のときに、
どうすれば助かるかということであるならば、
自分で考えて答えが出せず死ぬよりも、
答えを出せる友達を頼ったほうがいい。
東大の試験に通りたいのなら、
東大の試験を解ける友達を、会場に持ち込めばよいのである。
そして、
ぼくはいつでも、答えが出ないことだけを考えていよう。
そういうふうに誓ったのです。
数学の200点満点中8点の答案用紙の前で。
つづく。