長いおかわり
花形新次
その日僕とミョギーは診察が終わると、駅前の定食屋で昼飯を一緒に食べることにした。鎌倉駅前は平日でも観光客で混雑していた。店にいく途中、ミョギーはいつもより静かだった。思いつめているようにも見えた。しかし、僕は何も言わなかった。それが二人の流儀だった。12時ちょっと前だったが、店のほとんどの席はもう埋まっていた。運良く歩道に面した窓側の二人がけの席があいていた。僕とミョギーはその席に座った。お下げ髪の恐らくは40代後半の女性がお冷を持ってきた。僕はお下げ髪を呼び止め、早速注文した。
「塩サバ定食ひとつ。」
それを聞いたミョギーは俯いたままボソリと呟いた。
「塩サバには早過ぎる。」
そして、おもむろに「ぶり大根定食、ごはん大盛り。」と言った。
(季節はずれという意味では大差ないじゃないか。)僕は心の中で思った。
注文が終わると沈黙が続いた。僕は手持ち無沙汰で、お冷を7杯おかわりした。そして8杯目に口をつけようとした時、ミョギーが静かに語りだした。
「重要な話がある。」
「人間空母ノリちゃんの話かい?」僕は間髪いれずに答えた。
「えっ、な、なぜ分かった?」ミョギーは明らかに動揺していた。
「振られたんだってね。」僕がそう言うと、ミョギーはこめかみに血管を浮き上がらせ、上着の内ポケットからサバイバルナイフを取り出し、僕の喉元に突きつけた。
「あんまり、露骨なこと言うんじゃねえ。」低音でドスの効いた声だったが、少し震えているのが分かった。しかし、すぐに我に返ると、サバイバルナイフを元に戻し、取り乱したことを謝り、話を続けた。
「なぜ知っている?」
「人間空母ノリちゃんからメールが届いたんだ。恐らく一斉送信したみたいだね。」
「い、一斉送信?」
「うん、読んでみようか?」僕がそう言うと、ミョギーは困った表情を浮かべ、頭を左右に振りながら「いや、いいんだ。」と言った。
「どうして、読んであげるよ。いいかい・・、あのキモいおっさんがコクってきたので、マジ、ゲロゲロでした。二度と立ち直れないように、おもいっきし・・・・・」
「やめろって言ってんだろう。」ミョギーは店内に響き渡るような大きな声を出して、僕の朗読を止めさせた。
「あいつの悲しい気持ちは、俺が一番わかっているんだ。」ミョギーは薄っすらと涙を浮かべていた。
「俺を振らなければならなかったあいつの気持ちは。そして悪いのは全部俺だ。」そう言うと、ミョギーは腕で涙を拭って、お冷を一息で飲み干し、「お冷頂戴!」とお下げ髪に向かって叫んだ。
お下げ髪は丁度僕らの注文を運んで来るところだった。
「やっと来たね。」僕はミョギーに向かって微笑みかけた。ミョギーは、
「ああ。」と答えた。そしてなぜかミョギーの視線は僕の前に置かれた塩サバ定食に注がれていた。気にせず、僕が食べ始めると、ミョギーがまた話し始めた。
「俺は旅に出るつもりだ。」
「旅ってどこに?」
「どこかは分からない。」ミョギーの顔は真剣だった。
「君なら、俺の気持ちを分かってくれるはずだ。」ミョギーの視線は僕に真っ直ぐ向いていた。
「分かるよ・・・。とてもよく・・・。モグモグモグ。」僕はヒジキの煮物を口に運びながら言った。
「でも、寂しくなるな・・・。君は僕の親友だからね。」僕がそう言うと、ミョギーは
感動した面持ちで、僕の手を握り、引っ張るようにして立ち上がると、テーブル越しに僕に抱きついてきた。
「君に逢えてよかった・・。本当によかっ・・・。」そのとき、僕の左の肩に乗せたミョギーの顔の方から、プーンと香ばしい匂いが漂ってきた。僕がその匂いの元を確かめるために、顔を左に向けようとしたとき、今度は右の首筋にひんやりと金属の当たる感触がした。
そして左の耳元では、食べ物を咀嚼する音に加えて、ミョギーの乾いた小さな声が聞こえた。
「今、左を向いちゃあ、いけねえよ、ゴックン。サバイバルナイフの餌食になるぜ。」
ミョギー、僕の塩サバ定食が食べたかったんだね。言ってくれればよかったのに。
ミョギー・・・・・・。
本当に別れなければならないとき、人はさよならを言わないものだ。