必要と快楽
シャドウ ウィックフェロー



ひとにとって
飲み食いは、必要であり快楽でもある。
と書きだして、交合は必要であり快楽でもある、とちらっと思った。
それはともかく、
旨いものほど、あっという間に喉を過ぎるのはどうしてだろう。
じっくり味わえば良いのに。むしろ急いで飲み下して、味覚のない消化器へ送りたがっているようにさえ思える。
舌でさわり、歯で噛みしめるや、慌ただしく口の中を転がし、待ちきれずに喉へ送る。
快楽は発生し、消滅し、その空白はさらに快楽を求め、つかのま満たされ、満たされると同時に消滅し、さらに求める。
尽きることのない欲望。
ビールの喉ごしのように。快楽は過ぎ行くこと、そのもののうちにある。よりはやく過ぎ、よりはやく満たされ、よりはやく無になるために。
ご馳走は次からつぎへと供給され、刹那に消費され、消化され排出されていく。
必要と快楽は手を結び、生命活動そのものとなって、ひとを突き動かす。その時、快楽は必要をこえてしまう。
たとえお腹は満たされたとしても、舌が満たされることは永遠にない。

食べると、飲むと。摂取の最初に快楽が与えられた不思議を思うとき。
摂取の最後である排泄にも、ある種の快楽があることに気づく。
最初と最後。
快楽は刹那に宿る。

そしてその中間の、圧倒的なつまらなさ!





自由詩 必要と快楽 Copyright シャドウ ウィックフェロー 2011-05-22 18:31:02
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