歌謡曲日和 -あの娘は綾波レイが好き-
只野亜峰


 ――ヤリマンの歌です。
 ――あの娘は、あの娘は、綾波レイが好き。
 (銀杏BOYZ RIJ2004 MC)

 音楽の楽しみ方を少しだけプロデュースするかもしれない学校では教えてくれない歌謡曲日和。日本一の暑さと気だるさを誇る夕暮れ時の田園風景より私、只野亜峰がお送り致します。さて、今日の御題は今より六年前を遡りました2005年に発売された銀杏BOYZのアルバム『DOOR』に収録された問題作、『あの娘は綾波レイが好き』でございます。皆様方におかれましては、成程斯様な物の見方もあるのか等と、我々の鬱蒼とした日常を彩る素晴らしき音楽達の垣間見せる横顔を少しでもご堪能頂けたならば幸いです。

 ――頭がパーだから 頭がパーだから
 ――誰とでも寝るんだ 誰とでもやるんだ
 (銀杏BOYZ「あの娘は綾波レイが好き」)

 さて、この曲の主題である『綾波レイ』といえばご存知の通り『新世紀エヴァンゲリオン』というアニメのヒロインであるわけですが、『新世紀エヴァンゲリオン』という作品は放映当時に中学生なぞやっていた僕らの世代にとってはわりと馴染みの深い作品で、ショッキングでインパクトの強いアニメだったのをよく覚えています。『綾波レイ』という人物もまた作中のヒロインとして僕らの脳裏に深く焼きついたものです。BUMP OF CHICKENの藤原なんかは『アルエ』は綾波レイのイニシャルであるなんていう風に公式で発言しちゃったりしてますが、それだけ『エヴァンゲリオン』というアニメと『綾波レイ』というヒロインは僕らの中に鮮烈なイメージを残していったわけで、言ってみれば『綾波レイ』は『タッチの浅倉南』のように時代を象徴するヒロインであったと言っても過言ではありません。

 ――薬物に依存し、寂しさをまぎらわす為に誰とでも寝てしまう女の子を歌った新曲
 ――「あの娘は綾波レイが好き」を録音するにあたり、一応許可をとった方がいいと判断。
 ――アニメ「新世紀エウ゛ァンゲリオン」の制作会社GAINAXにまずはマネージャー江口(通称:エグ)が直接電話で交渉。
 (峯田和伸の★朝焼けニャンニャン 2004年7月17日 君と僕の杏仁豆腐温泉)

 当時の峯田のブログからの引用ですが、『あの娘は綾波レイが好き』という作品はここに書かれている通り『依存』を歌った作品であるわけです。セックス依存症なんていうとアダルトビデオの見出しみたいですが、セックスもドラッグと同じく快楽と伴う行為には違いありませんから病理的な依存症状として現れやすい事象の一つではあるわけです。この場合だと孤独が解消される快楽と性の愉悦が混同してしまうわけですね。作中の女の子にとっての性というものは『自我を保つための自傷行為の手段』でしかないわけです。彼女の世界では『渋谷で姦される事』も『ハウスのDJと便所でセックスする事』も『アイスクリーム』も『睡眠薬』も等しく彼女を支えるかけがえのない存在であるわけですね。『綾波レイ』という固有名詞は、そういった彼女の依存の対象を放り込む入れ物に過ぎないわけです。そして、あの娘が睡眠薬に溺れているのもヤリマンなのも綾波レイが好きなのも中谷美紀が好きなのも、『僕』にとっては等しくどうにもならない事なわけです。
 そんな彼女のために『僕』がしてやれる事なんていえばせいぜい『猿になって彼女の自傷行為を手伝ってやる』ぐらいしかないわけですね。峯田の描く『僕』は強烈にその事を自覚していて、自分の手では彼女を明るい場所まで連れて行ってあげられない事もまた強く自覚しているわけです。しかしながら『僕』にとっての性は『彼女の自傷行為を手伝う手段』であると同時に『惚れた女との性の達成』であるわけです。ともすれば『僕』は『好きな女とやりたいがためにもっともらしい理由をつけているだけの猿野郎』という事になるわけですね。彼女の事を『アバズレ猿』と口汚く罵りながらも、自身の事も『猿以下』の存在であるとこれまた徹底的に貶める。男って面倒ですね。


 ――あの娘はヤリマンだけど本当は寂しい子なんだ
 ――あの娘はヤリマンだけど本当は優しい子なんだ
 (銀杏BOYZ「あの娘は中谷美紀が好き」)

 両方聞いた事のある人はわかると思いますが、『あの娘は綾波レイが好き』と『あの娘は中谷美紀が好き』の二曲はメロディーも歌詞も全くの別物だったりします。(厳密に言えば『〜中谷美紀』がアレンジングされていって現在の歌詞とメロになって最後に名前だけ『綾波レイ』に入れ替わったのですが)人それぞれで感じ方は違うと思いますが、どちらかと言えば下劣な表現の強い『〜綾波レイ』よりも、悲恋のテイストの強い『〜中谷美紀』のほうが良い曲に聞こえます。僕の感性がよっぽど狂ってなかったらですが、『〜中谷美紀』の歌詞でリリースしたほうがよっぽど売れたんじゃないかとすら思います。しかし、そんな中で峯田はあえて『あの娘は〜』を『悲恋の物語』から『低俗で下劣な物語』へと変貌させていきます。僕はここに峯田のプロとしての意地を感じずにはいられなかったりするわけです。

 『あの娘はヤリマンだけど本当は優しい子なんだ』というフレーズは一見とても良いフレーズですが、良く考えてみるとここに落とし穴があります。これに良く似た言い回しを僕らは知っていますね。そう、『あの人は暴力を振るうけれど本当は優しい人なの』というDV彼氏から離れられない女性の常套句にとても良く似ています。ようするに歌い手である『僕』もまた『あの娘』に依存しているわけですね。自分が好意を寄せる女性がヤリマンだなんていう事実は耐え難いストレスです。そして、耐え難いストレスに晒され続けているからこそ『彼女が気まぐれに見せる優しさ』が強くクローズアップされるわけですね。このあたりは難しいのですけど、端的に言ってしまうと歌い手である『僕』が惹かれているのは『本当は優しいはずのあの娘』であって『薬物に依存し、寂しさをまぎらわす為に誰とでも寝てしまうあの娘そのもの』ではないわけです。挙句の果てに最後は自分を『あの娘を救えなかった悲劇のヒーロー』に仕立て上げてしまうわけですから、それはそれで一つの『すれ違った男女の悲恋の物語』としては美しくもありますが、こうなってしまうと『依存症のあの娘に惹かれた僕も彼女に依存していたけど結局彼女を救う事はできなかったよ。テヘッ☆』という滅茶苦茶な主題になってしまうわけです。ラヴソングとしてはあまり面白くない題材ですね。歌詞を書き換えた峯田の真意など僕にはわかりかねますが下劣で最低な猿野郎に成り下がってでも彼女の隣に在り続ける『〜綾波レイ』の『僕』ほうが幾分モデルとしてわかりやすいですし面白いように思います。

 ――ハートに巻いた包帯を 僕がゆっくりほどくから
 ――日なたに続くブリッジを探しておいで
 (BUMP OF CHICKEN「アルエ」)

 さて、そんなこんなで『あの娘は綾波レイが好き』という曲はめでたく2004年夏にレコーディングされたわけですが、『中谷美紀』から『綾波レイ』へのバトンタッチが行われたのはこの頃の事で、峯田は綾波レイを知らないメンバーの理解を得るために『エヴァンゲリオン』のDVDを購入してメンバーに貸し出したり、ファミレスでエヴァンゲリオンを語り合ったりしたらしいです。そこはもちろん作品の内容が内容なだけに『中谷美紀』という固有名詞が事務所的にNGだったのだろうという予想もできはするのですが、では何故『綾波レイ』であるのかという話にもなるわけです。何故に峯田は『ただの代打』であるはずの『綾波レイ』にそこまで労力を注いだのか。そこにはやはり『綾波レイ』が『綾波レイ』でならなければなかった必然性があるように思えます。

 余談ですが一つ僕の妄想話をしたいと思います。『あの娘は中谷美紀が好き』がライブで歌われ始めたのが2003年。峯田がGAINAXに『綾波レイ』の使用許諾を取った日記を綴ったのが2004年07月17日。偶然の一致か運命の合致かはたまた自分勝手スケッチか、2004年7月から遡ること三ヶ月前の2004年3月31日には『アルエ』がリカットシングルとしてリリースされていたりします。『アルエ』の描く世界が、峯田の描いた世界に対してなんらかの影響を与えた可能性というものを僕は想像せずにはいられません。
 僕の妄想が果たして正しいかどうかという事は置いておくにしても、考えてみれば『アルエ』と『あの娘は綾波レイが好き』は対照的な曲であります。日の当たる場所から手を伸ばして彼女を引き上げようというのが『アルエ』という曲であるなら、一緒に日の当たらない場所に身を置いていこうというのが『あの娘は綾波レイが好き』という曲であるわけです。『アルエ』の『綾波レイ』は『愛でるべき少女そのもの』として描かれていますけれど、『あの娘は〜』で描かれる『綾波レイ』は愛する少女の『忌むべき依存の象徴』であるわけですね。しかしながら、対照的な二つの作品のヒロインは『ハートに巻いた包帯』が『アルエ』の場合は『孤独』であり、『あの娘は〜』の場合は『ドラッグとセックス』であったというだけの話で大きな違いは無いわけですね。そういった意味で『あの娘は綾波レイが好き』は、同じく『綾波レイ』を主題に据えた『アルエ』に対するアンチテーゼに成り得るわけです。

 ――神様は憐れに思い 少女を切手にして
 ――彼女が何処へでも行けるようにしてあげた
 (筋肉少女帯「何処へでも行ける切手」)

 さてさて、最後になりましたが『綾波レイ』というキャラクターのデザインモチーフに筋肉少女帯の『何処へでも行ける切手』という曲があります。これがまた酷く薄暗くて救いようの無い曲だったりするのですが、『綾波レイ』を象徴する『包帯』のモチーフは、この曲の『切手に描かれた少女』であったりするわけです。この少女の生涯というのが、生前もまともに外に出る事が出来ずに、神様におまけの一日を貰っても包帯に巻かれたまま部屋から出られずに、あんまりに憐れなので『切手にして何処へでも行けるようにしてあげよう』という神様の粋な計らいによって切手になるものの新興宗教のダイレクトメールに張られて即ゴミ箱に入れられて行方不明になるという悲惨な人生だったりします。包帯に巻かれた傷だらけの姿で登場し、柔らかな変化を迎えつつも最後には悲惨な結末を遂げた『綾波レイ』のイメージによく嵌りますね。
 峯田が『綾波レイ』という名前を持ち出してきた理由もこのあたりにあるのかもしれません。『ドラッグとセックス』という包帯に巻かれボロボロになっていく『あの娘』の姿は、どこか『切手に描かれた包帯の少女』を思わせます。ともすれば今すぐにでもその存在を見失ってしまいそうな儚さに対する不安と、そんな生き方しか選べなかった『あの娘』に対するやるせなさが混在しているようにも思えます。『あの娘は綾波レイが好き』と呪詛のように繰り返しリフレインされていくフレーズの中には、そんな『忌むべき依存の象徴』に対する憎しみと、その裏に見え隠れする『今にも消え入りそうなあの娘』に対する愛しさが込められているのかもしれません。

 ――コンドームの風船
 ――さあ お月様まで飛んでゆけ
 (銀杏BOYZ「あの娘は綾波レイが好き」)


散文(批評随筆小説等) 歌謡曲日和 -あの娘は綾波レイが好き- Copyright 只野亜峰 2011-05-01 21:15:26
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