【批評祭参加作品】文法に果敢に肉薄する文学
石川敬大
荒川洋治が書き記す、詩についての文章は、批評家や評論家のそれとは違う。意図的であるのかどうかはわからないが、エッセイ的であることをやめようとしない。しかし、カン所はいつも的確に押さえられており、透徹した眼力が欠けることもない。
文体の問題なのかもしれない。引用しようとするとよくわかるが、短いフレーズで、ときにアフォリズム的に表現する批評家や評論家の文章とは違い、面的に、文章のながれのなかで表現する傾向が強いようだ。批評家然とした文体に対する抵抗感があるのかもしれないし、それらの文体の力を信じておらず、いっそひと括りにして放擲してしまおうとすらしているみたいに思える。
こんかい読んだ『文学の門』(みすず書房)における詩を扱った文章も同様なのだが、カン所の内容自体は、とても示唆に富んでいて興味ぶかく読んだ。適宜に引用して、詩や文学の本質の一端に迫ってみたい。こんな文章がある。
ただきれいなだけの文章を読みたくない。(中略)文芸誌の現在
の編集者の多くは「国語教育」という小さな世界から、ぬけだ
せない。才能のある新人たちの小説の文章やことばに意見をい
い、いいところを生かすのではなくて、実はいいところを消す
よう、変えるようにいう。それだけが仕事らしい。そのためパ
スする作品の文章は、つるつるのものになる。内容も消えてい
る。文芸誌から、ごつごつした、おおきな才能が出ないのはそ
のためである。(中略)変な後日談をくっつける国木田独歩や、
とりとめのない梶井基次郎の短編などはいまなら没にされるは
ず。太宰治の「ヴィヨンの妻」の、おやじさんの長いおしゃべ
りも無用のものとされ削られるだろう。名作は失われることに
なる。(後略)
小説など、散文の文章とは違って詩は、ごつごつした、常識的にも論理的にも矛盾した表現がかなりのところ許されている。アドバイザーや編集者の過度の助言によって手直しされたつるつるの詩では、小説いじょうに読者の心に訴えることはできまい。荒川は、高見順のこんな詩を引用して、そのごつごつ感の魅力を解説している。冒頭の二連を引いてみよう。
詩人が私に向って嘆いて言うには
詩が失われたという いまになって
詩を書きたく私はなった
夙に私は詩を愛していたが
詩が私のうちに失われた いまになって
詩を書きたく私はなった
ほとんどの行に「私」が出てくるが、それぞれの連の三行目にある「詩を書きたく私はなった」の「私」だけは、文法的に奇異な位置にある。その理由として荒川は、「意志の固さと、切実さを感じさせ」て、「私」は、「こんな読み取りにくい場所に」「立っていた」と読み解いている。ただし、この詩の時代背景を考慮しなければならない。つまり、この詩が書かれたのが太平洋戦争開戦の三ヵ月前であり、その「もっとも困難な時代」、「詩人たちが詩をあきらめたその時節になって(中略)再び詩に向かう決意をする」という、そういう詩であったことを考え併せたなら、この「私」の、文法的に奇異な立ち位置というものの意味も、より明確に浮かび上がってくるのではないだろうか。
荒川はさらに書き記す。「詩人たちの書くものに比べて芸術的に整備されたものではなかったかもしれない。だが(中略)文法でたたかう、たたかいを挑む、そんな、人の姿があった」。「高見順の詩はいまも燃えている。燃えつきていない。そう感じるのは、ひとえにそのためだ」、と。
この、ごつごつ感の、文法的に奇異な表現の行きつく先は、文法問題になることは不可避だったのだと思う。その問題は、いまも読者を魅了する室生犀星の「悪文」という個性に帰結している。「不自然」「特殊な表現」「文意が明瞭でない」けれども、全集の校訂者たちは「そのままにした」。その量たるや壮観であったそうだが荒川は、「つないでいけば、『詩』になるのかもしれない」とまで評価する。
荒川における詩の定義とは、小説の枠を逸脱したもののことを指すのだろうか。文法上奇異な表現のことをいうのだろうか。詩であれ、小説であれ、文学というものは、極論すれば、既成概念や制度に挑みかかり、文法に果敢に肉薄するものでなければ、作品の価値はないと考えた方がいいだろう。ともあれ、荒川のこんな言葉で締めくくろうと思う。
真のいのちをもつ作品は、ときにコースをそれたり、ルールを超
えてしまうが、それは、さほどおおきな問題ではない。文学は文
法のためにあるのではないからだ。いっぽう、すぐれたところの
ない作品は、少なくとも文法だけは守らなくてはならないことに
なっている。文法を守っても忘れられ、消えていくのである。
この文書は以下の文書グループに登録されています。
第5回批評祭参加作品