【批評祭参加作品】アセスルファムKは消化吸収されないからカロリー0の甘味料なんだ【虹村 凌】
虹村 凌
今年も無責任に逃げを打ちながら好き勝手言う。適当に誰かを捕まえてあーだこーだ言う事はしないけどね。まぁ、今から言う事なんざ、みーんなわかりきっている事だと思うし、目新しい事でも何でも無いんだろうけど、俺は言った事が無いので言うだけに過ぎない…と、さっそく逃走経路を作っておく。俺は、逃げ道の無いヨロコビに浸るにはまだまだケツが青過ぎる。防御力も攻撃力も足りん。いや、逃げないで戦わなきゃそんなもんは養われないんだろうけど(笑)。
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毎日毎日、そりゃあもう膨大な量の詩がここに投稿される訳です。勿論、全部読む時間も余裕も無いし、そんな気にはならない。気分が良い時で、時間に余裕がある場合に限って、タイトルの上にカーソル合わせ、小さい窓でチラ見して、面白そうなら読むスタイルは変わらない。
人の作品のレヴェルを問える程、己の作品の出来が良いかと言われればそこまでだが、それでも面白くも何ともない作品はある。「ゴミ」「クソ」と呼ばれるものだ。ゴミもクソも、人間や人間の身体が不要と判断して捨てたり排出したりするものである。詩に当てはめれば、単純に「要らない」って訳だ。
じゃあなんで要らないと判断されるのか。そういう話をしようじゃないか。
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小説にせよ詩にせよ何にせよ、そこには物語がある。物語は危機を迎えて、初めて原動力を得る。そうしてやっと転がり始める。その原動力となる危機は様々である。個人レヴェルから世界レヴェルまで様々だ。映画何かじゃ、企業、国家、世界レヴェルの危機が乱発する。詩だとそんな事は滅多にないけどね。何でかと言えば、リアリティに欠けるからだろうなぁ。それだけか?まぁ俺が世界を救う物語を書くなら、詩じゃなくて脚本か小説にするけどな。だってその方が濃厚な危機を描けるじゃないか。
まぁそういう危機よりも、個人レヴェルの危機の方が描き易い。現実味を帯びさせ易いからだよね。時給900円生活なのにインフルで一週間欠勤で収入がヤバいのも危機だし、湯水を湯水の様に使えないのも危機だ。愛しい人の気持ちがわからないのも危機だし、会いたくて会いたいのに会えないのも危機だろう。そういう危機を原動力として、詩にして書く訳だ。
まぁ平たく言えば、「自分が思う様に世界が回らない」と言う現実に対する、ただそれだけの下らない不平不満に他ならないんだが、それでも危機は危機だ。今、目の前にある人生に対する絶望(大袈裟な言い方だけどね)と、思い描いている人生に対する切望。いやぁ、楽しいね。その落差たるや!
俺だって、ガキの頃に思い描いていたような立派な大人にはなれなかった。社会人になってバリバリ働いて、綺麗な彼女と楽しく生活して、みたいな感じを想像してたけど、実際は就職出来なくてバイトして入院して手術して退院してバイト決まらなくて親と折り合いが悪くなって家出て知人女性宅でヒモみたいな事やって、やっとバイト決まって更にその女性に仕事紹介してもらって…みたいな生活だ。最近は何だか物事が好転しつつあるが、それにしたって自分が想像してた人生とは全く違う人生を歩んでいる。
ただまぁ、それでも「何でも出来る」ような気がする瞬間はあるし、「何も出来ないクソ」みたいな気分になる瞬間もある。成功への憧憬と、失敗への恐怖。その中で人間は生きているんだが、たまーに「自分がこの世界になくてはならない存在」みたいな気がする瞬間がある。人間を超越出来ちゃうかも知れないと夢想する瞬間は存在する。…俺だけかも知れないけど。
そんなもんは勿論、誤解でしかない。逆に、外を歩いている誰もが自分より偉い奴に思える瞬間もあるが、それも誤解だ。凄いやつでもなければ、一番の劣等人間でもない。何の変哲も無い、ただの人間だ。
そんでそんな生活の中に、ポンっと危機は訪れる。さっき言ったような事だな。その時、自分が反応出来る危機とそうじゃない危機がある。
例えば、童貞は「中出ししちゃった」危機を理解する事は出来ない。漠然とは理解出来ても、その恐怖と言うか危機と言うか焦りをキチンと理解する事は出来ない。テストで90点以下と取った事が無い奴は「赤点ギリギリで留年寸前」の男の危機を理解出来ない。
理解出来ないそれらは「要らない」と判断される。だって手元にあったって邪魔じゃんか。屁の役にも立たんし、腹も膨れねぇし、話も広げられない。そしてゴミやクソと判断されて捨てられる。それだけの事だ。
これは俺が体験主義者だからかも知れないなぁ。単なる想像力の欠如かも知れない。そこを突かれるとちょっと痛いなぁ。
まぁいいや。話を進めよう。要するに、同じ言葉で喋れてねーから互いの危機が理解出来ない。よってゴミが増える。クソが増える。この同じ言葉で喋る、と言うのが難しいんだな。似た様な経験、思考回路じゃないと、なかなか同じ言葉で喋れない。いちから説明しなきゃならないとなると、馬鹿馬鹿しくなってしまう。そんな時間も余裕も無い。会話やコミュニケーションってのはそういうもんだ。生ものだからな、すぐに腐ってしまう。
その解決法は昨今のJ-popが証明している。「何となく」と言う記号を寄せ集めると、「何となく」理解出来る。まぁそれでいいんじゃない?それで金を儲けて飯喰って何が悪い。悔しければやってみろ、と言うだけの話だろう。面白いとも何とも思わんが、俺もそうやって飯が喰えるなら喰ってみたい。働きたくねーもん。
どうでもいいけど、「働けど働けど」の人の働いてないのにそういう事言えちゃう詩人的天才性って凄いよね。死んで生き返った宗教的天才性に通ずるものがある。ちなみに俺は、マイケルは生き返るんじゃねーかと思ってた。キングオブポップからゴッドオブポップになる計画かと思っていたのだった。漫画や映画の見過ぎである。反省しようと思う。
話を戻そう。
同じ言語で喋れない。説明してる余裕もない。クソとゴミは増える一方。どうすりゃいい?どうもしなくていいと思う。クソもゴミも、基本的には放っておけば土になる。誰かがリサイクルするかも知れない。それでいいじゃねぇかと。別に淘汰されて良いものが残るとは思っていない。人間が生きてる限り、ガン細胞並みにクソとゴミは増え続けるだろうし、循環し続けるだろう。仕方の無い事だ。
だが、個人的に思う事は、僕らの世代にしか出来ない事がある。詩に限らず、過渡期を生きる僕らにしか出来ない事がある。アナログとデジタルの真ん中で生まれ育った僕らに何が出来るか?正直、バブルの残り香は微かに覚えているけれど、それを「信念を経済に売り渡した」とか言われてもピンと来ない。同じ言語で喋れないからだ。
そんな僕らに何が出来るか。二層式洗濯機の素晴らしさや、16ビットゲーム機の単純な面白さを広める事じゃない、他の何かが出来る筈だ。そう、それらしか知らない上の世代と、それを知らない下の世代を繋ぐ重要な役割を担っている筈だ。
それは何も、古き良き日本を継承していく事じゃない。古き良き日本なんて、現代の速度について行けない負け犬のクソ共が言う事だ。そんなものは幻想だし、妄想でしかない。継承されない文化は廃れて然るべきだ。何故なら、それは不要なシステムだからであって、元々人間が備えていたものじゃないからだ。
合理化のみが素晴らしいとは思わないが、無理して残す事に意味も意義もあるまい。ただの遊びでしかない。それでも良いなら残せばいい。
この世代に生まれた僕らにしか出来ない事がある筈だ。「そんなの関係ねぇよ」と生きるのも善し。俺はそのつもりだしね。でも、それを探り当ててどうにかしようとするのも良い。格好良いし、素敵な事だと思う。
僕らにしか出来ない事がある。踏み台になるんじゃなくて、出来る事。それが何なのかは知らんよ。バランスの良い僕らにしか出来ない事がある。そう思う。
詩だっていずれそうなるかも知れない。それでも、その詩と言う廃れ切らない分かの中で、何か出来る事があるんじゃねーかなー、と思う訳だ。詩の危機ってやつか。そうなったら、詩人達は同じ言語で喋れるかもな、ひょっとしたら。
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どうでもいいけど、人生を間違えた気がする瞬間ってあるじゃん。俺なんか間違えてると思うんだけどさ。まぁいいや。そんでさ、精子からやり直せばどうにかなるかと思ったんだけどさ、今、一億の精子レースやったら勝てる気しないんだよね。それ考えたら、そもそも俺が、一億の精子レースの覇者なんであってさ、君もお前もアナタも一億の精子レースの覇者なんだよね。すげぇ。みんなすげぇな!だってさぁ、要するに今の日本の人口で考えて、日本覇者レヴェルだよ?凄い事だ。
でもまぁ、だから人生が素晴らしいとか生きてるって素晴らしいとか言うんじゃなくて、まぁ無駄死にとかツマンネー事はしたくねぇなってだけなんだよね(笑)
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第5回批評祭参加作品