「伝えること、表現すること」
ふるる
自分の詩作について、思うことです。
○伝えること、表現すること
「いかに多くの人に、うまく伝えるか」と「いかに自分が満足できるように、うまく表現するか」は対極にあると思うのです。
伝えるか、については、伝わらなかったらアウト。表現できるか、については、自分が表現できた!と思えれば伝わらなくたってオッケー。
何故伝えるのか、と言えば、私の場合はぶっちゃけ「こんな自分のことを知って欲しい、または少しでも好意を持って欲しい」から。
何故表現するのか、と言えば、私の場合は「表現しないといけない感じになるから」(対、人では全くなし)「自分がこれを欲している」から。
伝えたいのならば、「伝える技術」に邁進すればいい。
表現したいのならば、「表現する技術」をこつこつやっていけばいい。
(ここで言う技術とは、「これがそうだ!」という定義があるわけではなく、自分はこれを詩の技術だと思う。という、人それぞれの自分基準のものです)
それはいいとして。
伝えたいし、表現もしたいし、というのもいいけど、その技術がちゃんとしてないうちに、それらを一つの作品においてごっちゃにするのはだめじゃんか自分・・・。と思います。人目を気にするのかしないのか、どっちかにしろよ?中途半端はだめだよって。
無論、伝えるための方法として、「表現している」ぽい技術を駆使するのは、まあ、なんていうか平たく言えば「自分はこんな表現もできる人なんですう」って言う方法としてありかと。
でも、それを今まさにやっているという自覚は絶対持っていたいと思うのです。
そういう自覚なしに、「自分てカッコイイ〜」みたいに、自分があさってに行ってたら、誰の方も向いていない、ってことになるもん。
詩において嫌われるのは、自分のことを分かって分かって〜ん。と言っておきながら、誰の方も向いてないという姿勢、それのみだと思います。
それって、せっかくみんなに背を向けるのなら、もっと自分の好きに書いたらいいじゃん、て思われると思う。
だけど・・・と、最近思います。いくら「伝える技術」に精通していても、ぜったい10%くらいの人には伝わらない。「ダサッ」とか「何をいい気になって・・・」とか思われるに違いない・・・。
ならば、むしろ、90%の人が、それぞれ、違う見方ができるようなものを作ってみたい。
そして、自分の伝えたいことを表さずに、読者に全てをまかせる気持ちで書いたものの方が、自分を抑えるそのやり方によって、作者の個性というのが現れる、自分のことを知ってもらえる、と思うのです。(憶測です)
そんなのが書けたら、ええなあ〜。はぁ〜。(ってまたこれかい!)
この文書は以下の文書グループに登録されています。
■■■詩についてのあれこれ■■■