ヒューム「ベルグソンの芸術論」(4)
藤原 実


「……十九世紀においては、詩人は文明からの逃避者として現われ、二十世紀にあっては文明の批判者として現われていることに注意しなければならない。イギリスのエリオット、オーデン、スペンダー、フランスにおけるヴァレリー、アラゴン、エマニュエル等、いずれもそうした近代文明の批判者として現われている。
 近代詩から現代詩にいたる約百年間における詩人の社会的役割のこのような変化に注目することは、われわれにとって特に重要である。T.E.ヒュームをイギリスにおけるこうした傾向をつくりだした先駆者として認めるとき、彼の憂鬱なこころ、そして彼の泥の眼が、十九世紀的なボードレールの苦悩やランボーの千里眼などからいかに遠く隔っているかに気づくはずである。」
        (鮎川信夫「『燼灰』のなかから――T.E.ヒュームの精神」)


鮎川信夫(1920-1986)は第二次世界大戦後の日本における---いわゆる「戦後詩」と呼ばれる---最も有名と言っていいであろう詩人グループ「荒地派」の代表的詩人でありスポークスマンでした。
彼もまたヒュームやエリオットから強い影響を受け、春山行夫等が編者であった詩誌『新領土』にも参加していますが、戦後は一転してモダニズムを批判する側に回りました。

鮎川は「現実の生に対する源泉的感情を失ったところに、優れた作品が生まれるわけがない」(「現代詩とは何か」)と書いて、春山行夫を始めとする戦前のモダニズムをサロン趣味的、末梢感覚的なものにすぎないとして葬り去ってしまいました。

鮎川は、日本のシュルレアリスト(モダニスト)の表現方法について、「『異質のもの、あるいは異質の<観念>の暴力的結合』であり、そこには<秩序>の意識が全く」なく、「異質なもの、あるいは異質の『観念』を同時的平面的に並置しただけの、一種の型(パターン)があるだけなのです」と批判を加えています。

この鮎川の指摘に対して、北川透は著書『詩的レトリック』の中で、遠く隔たったもの同士の偶然の接近が、互いの電位差により火花を散らし、その火花の美しさでそのイメージの価値は決まるという、ブルトンの「シュルレアリスム宣言」のコトバを引きながら、「しかし、シュールレアリスムにおいて、意味規範が意識的にこわされていても、そこにイメージが創出されていれば、<秩序>の意識がないのではなく、『新しい価値』に貫かれた<秩序>がある、と考えなければならない」として次のように述べます。


「鮎川の指摘には、たしかに正しい一面がある。しかし、<無意識>に自覚的に依拠することで、異質な概念と概念を連結するという方法を、ただ、機能的にあるいは技法的に理解せず、制度や規範によって抑圧されている人間の意識の闇、その危機の表象を探りあてるものだと考えるなら、そこにはパターンそのものを解体する契機も含まれているはずである」
       (北川透「詩的レトリック」:思潮社)


この鮎川(および荒地派の詩人たちが共有していたと考えられる詩観)に対する北川透の批判は極めて正当なものであるとして、ぼくの納得できるものなのですが、同時にあまりにも当たりまえであることに驚きます。

いったい鮎川信夫や他の荒地派の詩人たち、たとえば吉本隆明のようなアタマのいいひとたちが、この程度のことに思い至らなかった原因はなんだったのでしょうか。



「自然発生的な詩人の場合は、どんな風景でも心を素通りして、ありのままの写生にちかいかたちで表現されますが、今日の詩の場合、このようなことはほとんどありません。それは、現代の詩人の現実に対する意識が複雑となり、また現代詩が考える詩として発展していった経路からして、次第に作者の「批評的精神」とか「想像力」とかを働かせる領域が広くなっていったためだと思います。したがって、今日の詩人は心で風景をさえぎり、それに手を加えて表現するようになったのだと言えましょう。」
       (鮎川信夫「現代詩作法」)


「今日の詩人は心で風景をさえぎ」る、批評意識を持たねばならないと言う一方で、鮎川は次のようにも言います。


「僕たちが書いてきた詩の暗さについては、十年も前から、いろいろな人に指摘されつづけてきた。だが、僕たちは誰から何と言われようと、自分達の詩を決定している要素、それがたとえば暗さというような言葉で安直に言われるものであっても、黙って受入れてきた」


「僕たちの投影の意味が暗く、いつも幻滅的であったということは僕たちの歴史や全生活が暗く、そしていつも幻滅的であったということである」


「僕等の詩は幻滅的な現代の風景を愛撫する。僕等の感受性は、欺かれ易い知性とは違って、現代の暗い都市を正しく心のうえに感じとる。」
        (鮎川信夫「現代詩とは何か」)



 鮎川は「僕等の詩は幻滅的な現代の風景を愛撫する」とここでは言っています。しかし、「風景を愛撫する」ということと、「風景をさえぎ」る、という厳しい「批評的精神」がどのように両立するのでしょうか?
荒地派、ひいては戦後詩を代表するスポークスマンであった鮎川信夫ですが、その論の進め方に、ぼくの悪いアタマは混乱を起こすばかりです。

鮎川信夫のこの文章について、寺山修司(1935-1983)は「疑似悲劇的」表現のなかで「自分を愛撫している」のが鮎川を始めとする荒地派や戦後詩の書き手である、と言います。


「私は長い間、鮎川信夫の『僕等の詩は幻滅的な現代の風景を愛撫する』ということばにこだわっていた。なぜ、愛撫などするのだろう。自分もまた、幻滅の中にまきこまれている一客体にすぎないことに醒めようとはしないのだろうか、と思ったからである。
 私にはこの時代が、決して避けられない必然の下に暗い様相を帯びているとは思えなかった。悲劇的ではあったが、悲劇そのものではなかった」


「私は疑似悲劇的な多くの詩人に、なじみがたいものを感じた。それは、魅力的ではあったが、どこか冷たかった」


「……こうした露出狂的な死の時代の賛歌は、他人に『話しかける』ことは勿論、自分を変えるということさえできなかった。私はここに『幻滅的な現代の風景』の一つの要素として『自分を愛撫している』詩人を感じたのである」


        (寺山修司「戦後詩―ユリシーズの不在」:ちくま文庫)


「…自分もまた、幻滅の中にまきこまれている一客体にすぎないことに醒めようとはしないのだろうか」という部分を読んでぼくが思い出すのは、マーシャル・マクルーハンの『メディア論』のなかのギリシアのナルキッソス神話に関する考察です。
マクルーハンはここで、ナルキッソスが泉に映った「自分自身」に恋をした、というような通俗的解釈を退け、彼は、水に映った自分自身のイメージを「他人と見まちがえ」て、その姿に魅せられてしまう。このときナルキッソスはじぶんを見失ってしまった。そのショックが彼の知覚の麻痺を誘発し、水仙と化してしまうのだ、と述べています。


「ギリシアのナルキッソス神話は、そのナルキッソスという名が示すとおり、人間の経験に直接かかわっている。それはギリシア語のnarcosisすなわち「感覚麻痺」に由来する。青年ナルキッソスは水に映った自身の姿を他人と見間違えた。鏡によるこの拡張がナルキッソスの知覚を麻痺させ、ついに自身の拡張あるいは反復されたイメージの自動制御機構と化してしまった。


…この神話の要点は、人間がじぶん以外のものに拡張された自分自身にたちまち魅せられてしまう、という事実である。


…もしそのイメージが自分自身の拡張あるいは反復であると知っていたら明らかに、それに対する感情は非常に違っていたであろう。」


         (マーシャル・マクルーハン「メディア論」第4章:みすず書房)


マクルーハンの言う、自己を映し出し拡張するメディア(詩人の場合はコトバ)を、自己の感覚の延長としてとらえる、という点で鮎川たち荒地派の詩人には大きな欠落があったのではないでしょうか。

荒地派はモダニズムの無意味無内容性を批判して「意味の回復」を強調するあまり、実験を重ねることでコトバそのものの密度を高めていく二十世紀の詩の革新運動からは大きく後退して、「批評性」「思想性」というようなコトバの全体性からは切り取られ限られた一面、どちらかというと散文的働きの方に傾倒していってしまったように思います。

荒地派の詩人たちのコトバの感覚麻痺がいかに重症であったかは、彼らが非常に「隠喩」というものを偏愛したことにも表れているのではないでしょうか。
荒地派はヒュームの言う「新鮮な比喩」の創造を詩人の特権的な能力として極度に強調し、彼らの詩の方法のカナメとしたのです。

片桐ユズルは詩論集『詩のことばと日常のことば』(思潮社)のなかで、荒地派の吉本隆明の「審判」という詩について、「あまりにも自分の表現方法を発明しようとして骨折り損をしている。マチガッタ努力をしてコトバをへとへとに疲れさせている。それよりもコトバ自身の伸びようとする法則を発見し、その線にそって助けてやるだけでよい」と言い、その詩が隠喩へののめりこみによって、コトバの病いに陥っていってしまっていることを批判しています。



「   苛烈がきざみこまれた路のうえに
    九月の病んだ太陽がうつる
    蟻のようにちいさなぼくたちの嫌悪が
    あなぐらのそこに這いこんでゆく
    黄昏れのほうへ むすうのあなぐらのほうへ
    ぼくたちの危惧とぼくたちの破局のほうへ
    太陽は落ちてゆくように視える


…よくワカル。しかし、ちっともオモシロクナイ。ここに非常に問題がある。この詩人は、批評家が非難するような、ひとりよがりのメタファー遊戯にふけっているのでない。詩人と読者の間を埋めようと一生けんめいに身をのり出して説明する。しかし、読者の耳を捕えない。


…このマジメな詩人は、彼の重大な認識を表わすのに、唯一の方法としてメタファーにたよりすぎるくらい、たよっている。」


「荒地の詩人たちは死隠喩(たとえば「春の訪れ」のように日常用語になったもの)と詩的隠喩(「残酷な季節の訪れ」)を区別することが、すなわち、メタファー研究のすべてであるかのごとく精力を傾けている。それでうまく説明しつくせなくなると、擬隠喩というのを中間に設ける(ポスターなどの「高原は招く」やニュースの「冷たい戦争」など)。そして「審判」のつまらなさもこの、文学と非文学、詩のメタファーと日常のコトバ、をあまりにも鋭く区別したがる傾向から来ている、とぼくはかんがえる。そこでは、コトバが生きていない。あるいは、神風タクシーの運転手のように、まちがった方法で酷使され、へとへとに疲れている。これ式のコトバはぼくたちのハナシ言葉の世界から、ずーっと遠いところで、ぼくたちの実感とかかわりなしに、それ自身の回転をつづけている。もはや文語だ。」


「じつは知覚の仕方そのものが、メタファーのプロセスなのだ。ここでアリストテレスのマチガイにもどらなくてはならない。『それは天才のしるしである。なぜなら良いメタファーをつくるには類似を見る目がなくてはならない。』


…バカ言っちゃいけない、机の「アシ」が歩き出し、針の「目」がジロリとにらみ、ノコギリの「歯」がかみつくと誰が思うか。」


「一番わるい迷信は――メタファーはコトバの使い方のうちでも特殊な例外的なものだ、ふつうの使い方からの脱線であると考え、コトバがそれによって生きている法則、として考えないことだ。……(中略)……あらゆるシゲキはその瞬間に過去の類似の経験と比較され、このようにしてあらゆる知覚・認識・思考は、現在の中に過去を見る点で、メタフォリックなはたらきである。」


「われわれが生まれつき持っているメタファーの能力を尊重し、まっすぐに伸ばすこと、そこに新しい思想が生まれるのであり、そのことはF.R.リービスが言う、詩人は彼の時代の意識の先端、意識それ自体が現れるところ、なのだ。なぜなら「考え」は、経験と経験の交流、つまりメタファーにより、進められるものだからである。ここでわれわれは「審判」の失敗へもどってくる。大部分の詩人はいまだにメタファーを「説明」の手段として考え、「発想」のカタチとして考えない。それ故に、自信無げにくどくくり返し、芸術として良いカタチになっていない。これは民衆のメタファー能力を過小評価したバチである。」


        (片桐ユズル「詩のことばと日常のことば」:思潮社)



荒地派のコトバの病いは『Xへの献辞』というエッセイにもあらわれているようにぼくは感じます。
『Xへの献辞』は「現代は荒地である」という一節で知られた、荒地派のマニフェストともいうべき文章です。「荒地同人」という署名がされていますが、鮎川信夫によって書かれたものと考えていいようです。

現代は荒地であり、ヒューマニズムの無秩序と混乱と、唯物的な近代の世界観の厚顔無恥により、宗教的倫理的な絶対価値が忘れ去られ、伝統の喪失と権威の崩壊によって、現代は言葉への不信の時代となっている、と鮎川は言います。
言い換えれば、宗教的倫理や伝統や権威をささえるべきものとして「言葉」が考えられているということで、「言葉に対するこの深い信頼と愛が、僕等の必要と要求に応ずるであろう」と語りかけます。

そして、そのためには詩は「言葉の鎧」であったり、「巧緻なからくり装置」であったり、「まして猫に胡弓を取り付けた玩具」のようなナンセンス・ヴァースであったりしてはならない、のだと…。

「親愛なるX…」と鮎川はコトバを重ねます。詩を書くということは「言葉を高い倫理の世界へおしすすめてゆく」ことであり、「一つの調和への希求と、一つの中心への志向」を伴った、たえまのない詩作過程を生活のすべてとする、そのような「詩の規律に服するように、僕等の生活が保たれるとしたら、すべては如何に良きものであろうか」と。

そして、以上のような、コトバの完全なるハタラキへの信頼---それは幻想かもしれないが、幻想は生の賜物なので排斥すべきではない、と鮎川は言う---を取り戻すためには「僕等はただその善きものと悪しきものとを区別する能力を持たねばならないのである」と結論しています。

この高名なマニフェストを読んでぼくが抱くのは、「言葉への敬虔な信頼の念」がなくては成立し得ないのがじぶんたちの詩である、と言いながら、そのコトバに対する態度は不徹底なもので、コトバそのものが崩壊しつつあるのではないか、というような危機意識は希薄なのではないだろうか、という思いです。
問題にされているのは、あくまでもコトバの「意味」の面での荒廃であり、無秩序であり、荒地派の目の前にひろがっているのは、いわば「意味の荒地」にすぎないのではないでしょうか。




[続く]



散文(批評随筆小説等) ヒューム「ベルグソンの芸術論」(4) Copyright 藤原 実 2011-02-07 01:33:50
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