「荒地」を読むための諸前提 1
るか

「荒地」を読むための諸前提 1

 「親愛なるX…」。こうした書き出しで始まる、荒地派のマニフェスト
とも申すべき「Xへの献辞」は、1951年版の「荒地詩集」の巻頭に
付されています。「現代は荒地である」、こうした時代認識が断定的に
くりかえされます。「荒地」とは、直接には、イギリスのモダニストで
あり、カトリック詩人であった、T.S.エリオットの詩集のタイトルから
借り受けたものですね。鮎川信夫は早大在学中にエリオットを翻訳し、
また卒業論文のテーマに選びました。現在の感覚で荒地の詩集を紐解け
ば、その語彙の「暗さ」が、まずは読者をして読み進めることの困難を
感じさせないではいないと思います。死、破滅、不安、絶望、暗黒、憎
悪、等など。暗い、重い、スケールが大きい。現在好まれる詩の特徴の
、ちょうど対極をなしているかのような世界が、そこには展開している
。しかし、そこで本を閉じてしまわないで欲しい。ほんの少し注意深く
みつめるならば、これらの言葉の層の奥に、光を、希望を求める明確に
倫理的な意志が脈々と流れていることに、読者は必ず気付かされる筈で
す。その企図はマニフェストのなかに明確に書き込まれています。

 「荒地に生きているという暗い経験世界の終末的な幻滅感から一条の
 光線を摘みとること」
 「破滅からの脱出、滅びへの抗議は、僕達にとって自己の運命に対す
 る反逆的意志であり、生存証明でもある」
 「僕達が共通に抱いている絶望の本質は、光を求める虚空の手ではな
 いのか。」

 彼らの詩と姿勢を囲繞する絶望的な雰囲気の直接的な根拠が、第二次
世界大戦、という人類未曾有の出来事に端を発する時代的なものにある
ことは、見るに容易い。もし敗戦という時代背景、瓦礫の山と化した都
市という故郷において、花や星やの美しさを愛でる詩だけが詩として好
まれていたとしたら、どうでしょうか。そういう詩も僅かながらでも粛
々と書かれていたには違いないのだし、それは詩人のひとつの強靭さを
示すともいえないことはない。しかし、多くの人々の感情は生活再建に
必死であり閉ざされていたことが想像できます。そのような中で人々の
心を慰め、ひらき、互いに出合わせるような詩の言葉は、現実の暗さ厳
しさを冷徹にみきわめ、分かち合うような詩であり、それら外的現実
(時代)の、詩世界のなかへの受け入れであったことでしょう。もし私
たちの未来や明るさといったものが、たんに現実の暗い面には目を閉ざ
すことによって守られうるものだったとしたならば、そのような明るさ
はひとつの脆弱な仮構であり、砂上の楼閣に過ぎません。過去の詩を読
むことは同時に、その詩が書かれていた時代というものを、自分のもの
として受け入れることでもありますが、鋭く時代や歴史といったものに
肉薄した詩的営為である荒地派の詩を読むとき、どうしてもそのような
態度はつよく求められますし、ひとつの時代を未来に宛てて投函したも
のが彼らの詩業であったという言い方も成り立つかもしれません。
 
20世紀初頭から第二次大戦の終結に至るこの「時代」は、「時代」
そのものについてラディカルに問いを発さなくてはならないような、現
在にいう自己言及性を有した時代でありました。第一時世界大戦の破滅
的な戦争の惨禍は、長く世界を牽引してきた「文明国家」であるヨーロ
ッパ諸国に、「文明」とは何か、自分たちはほんとうに正しく歴史の行
程を歩みえているのか、そういう反省を促さずにはいなかった。エリオ
ットという詩人じたいがそのような背景の中で、いわばヨーロッパの危
機に対して鋭敏な批評活動を遂行した詩人でありましたし、この時期に
はまたフッサールやハイデガーといった哲学者もまた、ヨーロッパの危
機と題した講演を行うなど、危機意識が蔓延していました。激しい歴史
の転回点であった訳です。危機意識は二つの世界的な戦争と社会主義国
家の興隆という形で現実のものとなりました。
 
そのなかにあって荒地派がとった思想的スタンスはどのようなもので
あったかが、以下に、簡潔に述べられています。

 「ヒューマニズムの無秩序と混乱と、唯物的な近代の世界観の厚顔無
 恥により、宗教的倫理的な絶対価値が忘れ去られ、伝統の喪失と権威の
 崩壊によって、現代は言葉への不信の時代となっている。」
 「詩人の有する特権とは、個人的性質や階級の制約を超えた自由であ
 る」
 「それはもはや…個人の、社会の、時代の、内的な成長として記録せ
 られ、高き自由を欲する人間の意志が、必然的に到達すべき世界に他な
 らぬこと」
 「人間の精神が求める文明は、いかにして原罪の痕跡を小さくするか
 、という…問題に永遠に繋がれているのである。」

  続
 

 
引用は、現代詩手帖1月臨時増刊荒地戦後詩の原点(1972、思潮社)より


 


散文(批評随筆小説等) 「荒地」を読むための諸前提 1 Copyright るか 2011-01-25 12:41:04
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