わたしが好きな詩人 ミーハー主義的雑文 2
るか

 萩原朔太郎といえば、条件反射的に、西脇順三郎の名前が連想されるのは、
この二人の活動が時期的に近く重なり合っていて、多くの全集本では、一
冊に纏められているためがあるでしょう。朔太郎の次に私が愛読したのは、
西脇順三郎でありました。
 
 西脇は瀧口修造と共に、日本にシュルレアリスム(超現実主義)を輸入
した第一人者として知られていますし、小説の谷崎潤一郎と共に、ノーベ
ル文学賞の候補にもなっています。確かイギリスはオックスフォード大学
に留学して、現地のモダニストたちとも親交
を持っていたといいます。わたしは弟子筋にあたる新倉俊一先生の講義を
履修していましたが、それは中世仏文学でした。余り出席しない学生であ
ったので、どんな方だったか、もうすっかり忘れてしまいましたが。
 
 日本のなかでモダニスム、というと、ふつう、西脇以後の人々を指すよ
うです。モダニズムというのは、非常に広い裾野を有する概念であって、
20世紀前半の前衛芸術運動の総体を意味しえます。詩の分野ではとりわ
けパウンド、エリオットのような、英国のモダニズム運動を指示すること
が多いようです。言葉の意味を広く取るなら、シュルレアリスムもモダニ
スムのフランスにおける一形態とみなすことも可能です。近代主義と訳さ
れますが、なにしろ現代をこの時期の延長線上に捉えるか、既に断絶なり
超克したものと捉えるか、についても、猶、見解は様々ですから、いまだ
その意味が歴史的に画定していない、ということは、なお汲みつくされな
い可能性を有しているともいえる、曖昧な概念であると言えるでしょう。
 
 西脇は朔太郎の詩集にであって、日本語の詩はこれだ、と、開眼させら
れたと述懷しています。二人の間の個人的関係について私は存じ上げませ
ん。しかし、日本の近代詩がひとつの極点を示すにあたって、二人の影響
関係が存在しただろうことは想像に難くありませんね。同時に二人の差異
が、現在にまで影響を遠く齎していることも指摘し得ると思います。
 忘れてはならない事実は、この時期には、同時に、モダニズムの詩人た
ちと、さらにはプロレタリア詩人たちが存在していたことでしょう。既に
大正期に、「民衆詩派」、詩話会というグループが存在していましたが、
これがモダニズムとプロレタリアの二つの流れに分岐したとも見えてきま
す。実はこの二項対立は、現在にまで連綿と尾を引いていて、それが、湾
岸戦争のような歴史的出来事への詩の役割についても、また詩論上の見解
としても、対立の原点となっているように私には見えますです。
 
 ですが、難しい経緯の解明は、本稿の目的ではなかった。
 西脇順三郎の詩業の豊穣さに触れましょう。
 彼の詩は、社会歴史のすべてを内包しようという貪婪さに満ち溢れてい
て、それに成功していると言えましょう。
社会歴史の全て、つまりここにはギリシアがありキリストがありニーチエ
があり、無論英国があり日本があり、英語がありラテン語があり日本語が
ありフランス語があります。私見では、ブルトンのシュルレアリスムの成
果を凌駕するものがここに展開しており、中南米で開花した「マジック・
リアリズム」の先駆ともみえるような過剰なる豊穣がここには存在してい
るのです。勿論、なんでもかんでも多種多様なものを作品のなかにぶちこ
めばおけー、というわけではありません。ここには異質なもの、多種多様
なものを統合するひとつの原理が確かに存在する。その意味では、ブルト
ンのシュルレアリズムとは原理的に異なる立場にたつのが、西脇順三郎だ
ったともいいうる。
 わたしが問題としたいのはむしろ、この原理と、大正の民衆詩派の生命
原理との関係なのですが、いまはそんなことはいいですね。
 この余りにも豊穣な世界が、第一詩集における世紀の名篇の三行のうち
に「含まれている」。
 
 そしてそのタイトルを、「天気」というんですね。移ろい、変わりやす
い、とるにたらない挨拶のような、「天気」という言葉に、その豊かさの
全体が「象徴されている」、そんなふうにわたしにはみえてもくる訳です。


 つづく
 


散文(批評随筆小説等) わたしが好きな詩人 ミーハー主義的雑文 2 Copyright るか 2011-01-14 14:02:59
notebook Home