完璧な蝶
天野茂典

 

   完璧だった。
   十月は週五日毎日通勤した。
   無遅刻無欠席。
   毎日詩を書いた。
   せわしないが完璧だった。

  
   シャガール展は最後のプログラムだった。
   マイク・シャガール。
   六十五歳で二度目の結婚をしていた。
   ピカソと仲がよかった。
   ぼくが地中海に面したかれの誕生地マラガを訪ねたのはずっと昔だ。
   海の匂いがしていた。
   

   シャガールはユダヤ人だった。
   迫害されていた。
   白ロシアに生まれながらフランス・アメリカ・イスラエルに亡命してい
    た。
   九十七歳まで生きた。
   シャガールは詩を書いた。
   つまらなかった。
   絵は自在で奔放だった。
   本物の温もりだった。


   好き嫌いは別にして本物に出会うのはきもちがいい。
   赤もきいろも蛍のように発光していた。
   猛獣と裸婦とピエロとポエムとサーカス。
   浮いていた。
   浮遊していた。
   祖国のない魂のように完璧だった。


   アイデンティティが欲しいのだ。
   人間は所属する生命体だ。
   シャガールにはそれがなかった。
   藻のように風船のようにゆらゆら揺れて浮いていたのだ。
   シャガールが愛されるわけを知りたければユダヤの歴史を繙けばその謎
    は解けるだろう

   
   夕焼けが美しいのは日本人もユダヤ人も変わりないだろう。


   ある距離スパンで人間は完璧でしかありえない。
   ぼくたちは中途で館内を去った。


   ぼくと淺野さんだけあとに残った。
   館内には完璧な蝶が無数に散っていた。


   美しい夕やけのように。



  
               2004・10・29


自由詩 完璧な蝶 Copyright 天野茂典 2004-10-29 19:07:22
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