寄席へゆこうよ
はだいろ


今、空前の、落語ブーム・・・
なのかは知らないけれど、
ぼくのなかでは、確かにブームになりつつある。

落語の凄いところは、
けっきょく、一対一であるところ。
一発勝負であるところ。
殺るか、殺られるか、なのである。

音楽は再生文化がメインであり、
絵は出来上がるまで描き続ければよいし、
小説やマンガもしかり。
映画は監督はだめでも脚本やら役者やらでなんとかなったり。
演劇なんかもっとそうだし。
いいやらわるいやら判然としない。
ところが、落語は、そうはいかない。
その日の、体調もあるだろう。
演目もあるだろう。
見ている方の、気分もあるだろう。
相性もあるだろう。
かけ算の、一発勝負。
その凄みがある。
だけれど、同時に、とても、軽いのだ。
ばかばかしいかぎりなのだ。
そこが、素晴らしい。


名人と言えるような落語家は、
もう現れないらしいけれど、
いい落語家は、たけのこのように生まれている。
名曲はもう生まれないけれど、
いい曲はいっぱい生まれるのと同じ事だろう。

いまは、
昔の名人や、いまの人気者の、
CDやDVDもたくさん出ているから、
まとめて勉強しようと思えば、
youtubeでもいくらでも見られるのだろうけれど、
ぼくは、
主義として、
それはしない。
生で、寄席や独演会に足を運び、
最低でも、
一年間は、見まくってやろうと思う。
ひとつには、落語の演目にも季節柄があり、
例えば、年末では、
だれもかれも芝浜ばかりだったりするのである。
それはそれで、
やる人間の違いを知れるからよいけれど。

いまのところ、
まだ、
この人を、ひいきにしたい、
と絶対的に思うような人は、定まっていない。
志らくには、共鳴を覚えたけれど、
(友達がいなさそうなところが)
ちょっと目の暗さが気になる。
菊之丞は、近所でやってくれたので、
ちょっとひいき。
若手では、三三がよかった。
すこしだけ間延びしたとこは感じたけれど。
逆に、いま大人気の、
喬太郎は、合わなかった。
談笑も、合わない。
もっとも、一回だけで判断してはいけないのかもしれない。
チケットの全然取れない、
談春や、志の輔は、
もちろん楽しかったし良かったけれど、
強く惹かれるものは感じなかった。
馬生や、歌丸はさすが。
さん喬の芝浜は、やっぱり、
押し芸の志らくよりも、
引き芸の良さで一歩先だった。
白酒の毒舌はきもちよかった。
市馬の歌謡はきもちよかった。
円楽は笑点よりも地味だった。
昇太は独演会がすごく楽しみ。
たい平も明るくてよかった。
家緑は志らくの数少ない友達らしいけれど、
なるほど、好感を持った。
小三治はまくらの良さがよくわからなかった。
etc,etc・・・


談志は、
小咄くらいしか、
今は楽しめないけれど、
う〜ん、
初心者なので、よくわかりません。
DVD全集、どうしようか、いやいや、
あと一年は、見ないようにしたい。


今日は、風邪を引いたので、デートの誘いを断った。
あの人、
とても、落語なんか、楽しめそうにないなあ。
落語を、夫婦で見に行って、
中入りで、ロビーでおいなりさんを食べている、
あんなふうに、
なりたいなあ、と、ぼくは思うのだけれど。
いっしょに笑えるのが一番だ。
ね?
ね?


ということで、落語は日本の世界に誇る、いや、
誇る必要もない、日本人だけのお楽しみ。
みなさんとも、ぜひ。
寄席で会いましょう。










自由詩 寄席へゆこうよ Copyright はだいろ 2010-12-27 20:47:24
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