毒虫
ホロウ・シカエルボク

強い日差しの中で私は夜を待っていた、冬の日差しは針が降るみたいに痛い、街道の終わりのバス停のベンチに腰をおろして夜を待っていた、成長期を逃した年頃の娘のような顔をして―それは実際にそうだったのだけれど―水晶体の表面を泳ぐ細かい塵のひとつが過剰に自己主張をして私の視界におかしな線を躍らせる、なにも見たくないと思っている時ほどそういうものは見えてしまうものだ、私には分かっている、分かっているから虫に刺されたくらいのいらだちくらいでいつもおさまってしまう、ものわかりがいいという特技は、往々にして自分を厄介な状況に追い込んでいくものだ…ここ数日まったく雨が降らなかったので、路面はこれ以上ないほどに渇いている、冬の風はハリウッドの俳優のように力いっぱい活動するので、たくさんの埃が舞う、私のまぶたはいつでも少しぼんやりしているせいで、それら舞い踊るものたちの侵入をあっけなく許してしまう、そうして私はぽろぽろと涙を流すのだ、まるでなにか耐えがたいほどの悲しみに襲われたみたいに、声も出さず、表情もなく、ただぽろぽろと、ぽろぽろと、泣いてしまうのだ、まるで最後の一日における後悔と浄化をいっぺんに知った時のように…私はバスを待っている、多分そうなのだと思う、だってそんな理由でなければ、こんな強い日差しの中、日よけすらないバス停のベンチに腰をおろして、埃まみれの路面をじっと見つめている必要などひとつもないからだ―私が見つめている路面の少し先、放置された空缶の向こう側に、祈りのようにきちんと結ばれたルーデサックがある、ついさっきまではそれに気がつかなかった…肌に近い血管を切った時に少し滲む血のような薄いピンクのゴム状の袋の中に、そう遠くない昔に放出された誰かの精液が所在なげに横たわっている…こんなところでしなくてはならないくらいおさえこまれていたのか、それともなにか他の理由があるのか、パンプキン・パイのようにそれは黄色い―それに散々飛び交っている土埃がおかしな斑点をつけて、まるで強い日差しに力を奪われてなすすべなく死んでゆく一匹の毒虫を思わせる、私は笑いだす、毒虫だなんて…!震えあがるほど寒いこんな日に、日差しに炙られて死ぬだなんて―!私は笑いだす、最初はこらえていた、だって、こんなところで大笑いしていたらきっと、頭がどうかしている子だと思われるから…だけどすぐにこらえ切れなくなり、私は大声を上げて、のけぞって笑った…ベンチの背もたれが肩甲骨のあたりに食い込んでいたむくらいに…そうしているうちに垢ぬけないロック・バンドのドラムスのようなエンジン音と、ヘビー・スモーカーの男が容赦なく香水を振りかけた自分の背広みたいな臭いの排気ガスの臭いがして…だけど私は笑いを止めることが出来なかったので、ドアを開けて不思議そうな顔をしている運転手に、「かまわないから行って」というゼスチュアをした、運転手は私のことをほんの少し気にして(あるいは心情的にそういうふりを装って)、頷いてドアを閉めて行ってしまった…ようやく笑い終えた私は待っていたバスが行ってしまったことに気付いて―あれほど待っていたバスが行ってしまったことに気付いて―いまこのときにも路上で干乾びて死につつある毒虫に激しい怒りを燃やす、私はベンチから飛び上がり、野獣のように唸りながら毒虫に噛みつく、噛みついたまま揺さぶると毒虫の肌は裂け、黄色い体液が唇をつたう、毒虫の体液はどんな言葉でも表現できないような、どうしようもない絶望の味がする…私は怒りが度を越してしまい、わけが判らなくなってへたり込む、夕焼けが始まるころ、誰かが私を迎えに来る…私のどんなわがままも素知らぬ顔で聞き流す人たち、許容の広さが優しさなのだと、慈愛なのだと、心からそう信じているいけすかない偽善者たち…私は、許してほしいわけじゃないのに…!私は道路の真ん中でへたり込んで叫び声を上げる、一台の黒い車がホーンを鳴らして、そんな私を避けながら罵声を浴びせて行く…そうよ、そうじゃなくちゃいけない、そうじゃなくっちゃ…私は私の牙のことを思う、私の牙が私の喉笛まで届くことが出来たらいいのに…それが出来るのならばこんな思いをしなくても済むのだ、私の牙が私の喉笛まで届くのならば…私は私の牙を憎む、もしも私が私を殺すことがあるのなら、私は私の牙でしかそうしたくはない、なのに、なのに……一台の、綺麗に磨かれた白い車が私のところへやってくる、あの中には、私がよく知っていて、そして私のことを少しも知らない優しい人たちが乗っている…




自由詩 毒虫 Copyright ホロウ・シカエルボク 2010-12-09 00:10:27
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