cold water
ホロウ・シカエルボク



持続性にケチのついた情熱の抜け殻、大きな家具屋で買った安物の低反発のクッションの上で鎮座ます、時間は無駄金の垂れ流しみたいでいくら気をつけてもそこから、ほら、そこから、上等なクッキーの粉みたいにこぼれては遮音性に優れたカーペットの余計な模様だ、手指の爪を切らねばならないと思いながらいつの間にか三日が過ぎていた、てめえの骨身に近いことほどいくらでも先送りに出来るものだ
12月になってようやく、しんしんと冷える夜半がやってきた、西の方の田舎の小規模なショッピングモールのいまはもうなくなった服飾店で安く買った裏起毛の赤いトレーナーを着こんでおれは詩を書いている、そう、赤い色が飛び込んできてなんとなくそのまま買ってしまった赤いトレーナー、赤は多少くたびれたが毛玉のおかげでどことなく12月には似合いだ、部屋の隅には奇妙に片付いた一角がある、もうじきこの部屋は引き払うからだ
住処が変わるということは容易い暗示みたいで愉快な気分になる、しかもそれがいまの住処よりもずっとしっかりした、おまけにあまり金もかからないところとなればこれはご機嫌な話、仕事が終わればこれまでよりもずっと快適に羽を伸ばせるだろう、日常を確保するための運がようやくおれにもめぐってきたのだ、誰かが邪魔をしくさるような、そんな毎日はもうすごさなくてすむのだ、ハッピー!おれは叫んだ、世界はまだ愛に満ちているのだ!
マリア・カラスの最初の録音を聴いている、このときの彼女はいつ死んでもかまわないと思っているような気がする、だけど、はやく死ななかったからこそ、おれは彼女のことが好きなのだ、生き残るのは伝説になるよりずっとイカしてることだ、出来たことが出来なくなったり、出来なかったことが出来るようになったり、実はそれがどれかとどれかが入れ替わっただけだったのだと知る瞬間があったりと、生き延びるというのはまことに素敵なことだ
40になったらもう一度20代がきた、同じ気持ちで同じものを背負えと、おれの運命を担当しているもの好きな神はついこのあいだおれにさりげない暗示を与えた、つまり、クリアー出来なかったゲームをリスタートして始めろというのだ、コンティニューなんか使ってはいけないと言った、そんなことをするものには真のゲームの楽しみ方など絶対に理解することは出来ない、と…他人の人生をゲーム扱いするなんて流石は天上人だ
おれが住んでいるこのあたりにはまもなく大地震が来るという、10年前からもうすぐ来ると言われている、災害への意識を高めようと科学者が躍起になっている、だけど、だからって誰も死なずに済むわけがない、太古から言われているように、大地震とはデフラグのようなものなのだ、不要なファイルがこれでもかと溜まっていれば、排除するときには大変な変革が起こるのは仕方がないというものだろう、そうさ、なんたってこのハードは自分の力でそれをすることが出来ないんだから、システムとして時々は手を入れてやらないと
夕食のあと少し転寝をしてしまって、それからも眠くてしようがなくって、今夜はそんなに長くは持たないだろうと思っていたが、インスタントのコーヒーを飲んだせいかいまは不思議と目が冴えている、目が冴えているうちにやれることはやっておいた方がいいだろう、べつになにもかもにそんな使命感を持つことはないけれど―ひとつなにか手の込んだことをしておけば眠るときに居心地の悪い思いをしなくてすむだろう?おれの言ってることなんとなく判るだろう?人生っていうものは、受け取るだけでは絶対に満足できないように出来ているんだ、だけど
こんなことはそろそろお終いにして、洗面所で丁寧に歯を磨いておかなくちゃならない、夜中になればなるほど、そういったことは面倒になってくるからな…ところで自分が効果的な歯磨きをしていると認識出来たのはきみはいつぐらいだ?おれは30を過ぎてからだったよ、歯茎に膿が溜まっちゃって、ひどく傷んでからのことだ、生涯で二度目の、歯磨きのレクチャーを受けたんだ、とてもよく理解することが出来た、おかげさまでそれ以来、ひどい虫歯にはなったことがない、数年前に奥の義歯が抜けたせいで食べるときに少し具合が悪いけどね…



水が、冷たいな





自由詩 cold water Copyright ホロウ・シカエルボク 2010-12-01 22:14:25
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