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salco

理路


 通されたのはあの謁見室ではなく奥まった居城の一室だったので、女は
脈ありとほくそ笑んだ。女王の居室に続く次の間か何かなのだろう、床に
は何の素材か豪華な絨毯が敷きつめられ、薄暗い壁面には巨大な狩猟画の
タペストリーが飾られ、その下では横長に切った暖炉に焔が燃え盛ってい
る。
 二頭の豹皮が掛けられている長椅子に腰かけようとすると、仕着せ姿の
細長い男がつかつかと歩み寄って制した。目をひんむいて顎をしゃくる。
その顎は数歩先の床を示していた。ともあれ絨毯の上に座らせてくれると
いうだけで大変な待遇改善ではある。
 観音扉の向こうは繻珍の衝立が立てられており中の様子は窺えないが、
白大理石の床には白貂なのか敷き皮の一端が見え、高い天井は窓明りを反
射して暖気の溢れる居心地の良さが知れた。
 ややあってあの不思議な声がゆるゆると漂って来た。

「一体にそちは厚かましい女よの。首一つで転がるところを路銀までつけ
て送り返してやろうと言うに、えて勝手な無心をしおるとは」
 再び脳髄の心地よい痺れを感じながら女は、音の強弱ではなく薫香のよ
うに遠くへ伝播し、鼓膜でなく頭蓋を透過して来るようなこの声を、瓶詰
にでも出来たら一体どれほどの財になるだろうかと考えた。すると傍らに
立つ先の男が驚くべき速さで女に訳した。

「はい、女王様。実際、損益は私にとりまして、深刻な額に達しておりま
す」

「ふん、帰る気など毛頭ないのであろう」

「そこでございます、女王様。術なく帰るよりないならともかく、せっか
く命を頂戴いたしましたのに、このまま帰って何になりましょう。それに
遠い異国にまで聞こえ及んだ評判をよすがに懇請されて、大きな決心をし
てはるばる参ったのでございます。何の貢献もせず帰られましょうか」

「貢献とな? 何やら思い上がりの匂い立つ妙な言葉。そちの目当ては金
であろう」

「畏れながら女王様。忌憚なく申し上げますと、発展途上のお国くんだり
で貴人相手にご奉仕するよりも、拙宅にてご予約客を相手にしている方が
よほど儲かりましてございます。現に四人の助手を雇用している資力も、
そのささやかな証ではございましょう。私めに野心があるとすれば、優れ
た技をこの国にも伝えたいという一念の他ございません」

「ほほ、また大層な自惚れよう。この国の者は、お前の技など必要とはし
ておらぬ」

「はい、残念ながらそのようで。上陸しましてからこの国の女性達の、ま
あ何と申しましょうか、煤けたみすぼらしい容姿には驚き呆れるばかり。
生活史だけが刻まれたむごい顔。年月に先じて老いを招来するその構いつ
けない生活態度。今日までそしてこの都でも、見るに値する女性に一度と
して遭遇したことがございません。立派な建物も豊かな商店も建ち並んで
おりますのに、まるで草木のない地平を打ち眺めるような荒漠。まあこん
な砂漠の中で人生の魅力を振り撒いているのは子供達ぐらいで。いかんせ
んお小水臭い水では花も咲きますまいけれど。ほほほ」

 美も余が掌握しておる。女王は思った。
「これはまた面妖な。さまで高き名声の遠国に聞こえ、とつ国の風趣に呆
れさざめくほど美に優れておると標榜するそちの、その面相ではいかな小
童への説教にもさぞや難儀しようものを」

 意外にも見られていたとは。これはいよいよ脈ありだ。
「そこでございます、女王様。母の胎で持たされた物は仕様がございませ
ん。?まあお前は何だかぱっとしない顔だね、明るいのがせめてもの救い
だよ?と、ぱっとしないのを産んで置いて母はよく申したものです。けれ
ど雀でさえ持っているような取柄に縋っていても、何も起こりはしない、
何とかしなくてはと考えたのが十代の頃でした。どんな髪形が、どんな眉
の形が、どんな服が自分を少しでも良く見せるのか。またどんな石鹸で洗
顔すれば吹出物が治まりどんな軟膏を使えば粗い肌理が滑らかになるの
か、幼い頭ながら研究を始めたのです。更にはどんなお化粧をすれば小さ
な目が大きく見え、低い鼻が少しでも高く見え、貧相な唇が愛らしく見え
るのか。またどんな笑い方をすれば歯茎が隠れ且つ自然に見えるのか。今
から考えますと、地が地ですから自ずと限度はございますが、それはもう
日夜考え工夫に工夫を重ねました。こうした積み重ねで、どうにか私もこ
こまで見られる顔に」

「ふん、化粧が錯覚を用いることくらいは誰でも知っておる。工夫工面は
ただの上塗り、作り笑いと同じ空寂しい欺瞞に過ぎぬわの」

「畏れながらそうとも限りません、女王様。女という人種は自分が美しく
なったと思えば、実際に美しくなるのでございます。私の国では女にも自
惚れと夢想が許されておりますから、皆それぞれできる範囲で着飾って歩
いております。獅子鼻の女もせいぜい自分を仔猫と思い、芋虫のような女
でさえ、いずれは蝶になるものと信じているのでしょう。だって豚みたい
な女が豚らしく生きて、豚さながらに終える一生に何か意味がありましょ
うか。ですから誰もが好き放題の鏡像を脳裏に祀り、それを手本に身を構
い、あたかも蝉衣のように身に纏ってそれらしく振舞います。こうして身
振りは習いとなり、いずれ身住まいとなり、それだけで外貌に些かの洗練
と風雅をもたらすのです。そうした女の自信は一方で、活き活きとした色
彩となって景観の美化に貢献し、よりよき明日への希望が購買欲を刺激し
て国内経済をも活性化し、国にも人生にも幾たりかの利益をもたらすので
すから、女の錯覚もなかなか馬鹿になりません。女達が気ままに装い、溌
剌と駄弁にうつつを抜かす世相こそ、国内総生産と民度の指標に他ならな
いという識見もございます」

「眉唾のたわごとよ。現世にも夢見心地の悪あがきがあろうとは知らなん
だがの。一体に獅子が猫に豹変するやら、醜女が蝶に脱皮するやら空蝉が
行き交うやらけばけばの、そちが国なるおどろの景色。いわんや生来の分
相応を鑑む謙下げんげの心、臣民に課せられたる奉国の一大義も忘れ呆けた愚昧
の不様を、言うに事欠き何の指標と申すやら」

「私が女王様に申し上げたいのは国情を超えた、私ども女という生き物が
持つ、内なる力の作用にございます。女のみが具有する、この魔法とでも
言うべき変化へんげの力。洗い落としても剥げ落ちない美が肌の内側から育って来る不思議。それが男にはない作用なのでございます。女の寂しい妄想が
一輪の小さな花を咲かせるならば、男の陰湿な妄想は痴漢を一人育てるぐ
らいのもの。また男は妙な自負を持ち始めると、何ともいやらしい歪みが
外見に滲み出て参ります。態度の尊大な割に風体の乏しい、目色の濁った
手合が中年男に散見されるのはそのせいと存じます。何と惨めな作柄でし
ょう。まあ、右顧左眄の身すぎ世すぎと内面の忸怩との相克が、積もり積
もって心身を侵すのでございましょうけれど。あら御免遊ばせ、おほほほ
ほ」
 じっと見上げてやれば、通訳の男は何とも憎々しげに睨み返した。
         
「そちは男が嫌いと見える、ほほ。麗しい男も数多といようぞ。下郎なぞ
観察したところで何になろう。では好誼の技巧はどうじゃ。逞しき手と切
な吐息が愛でさする加減が女体に与える作用は何とする? 肚から背を突
き上げ身を溶かし去る、快楽の作用こそが女を変化させるのじゃ。虚妄の
厚化粧や侘しき倨傲よりよほど。一体に、そちは哀れな女よの」

「はい、全くおっしゃる通りで。至高の御身ゆえ、お足元にちょろちょろ
している数多の油虫をご覧にならずに済む女王様は、まことにお幸せなお
方。さぞやお身裡のご満足が外へ輝き亘っておいでなのでしょう。私の申
し上げたいのもそれ、内からの輝きを引き出す施術にございます。けれど
棹差す船頭の連れ行く先は、たかだか彼岸の渡し場。此岸の眺めと大した
違いがあるでなし、舟を違えて往路復路の変り映えを歓ぶ束の間が、一体
何ほどのものでしょう。結局は同じ川での舟遊びにございます。なるほど
愛撫も若い女を磨く手管の一つではありましょう。けれど男には女が崩
れ、枯れて行くのを止めることなどできません」

「ああ言えばこう言う。そちは空中の言葉尻を長広舌で巻き捕らまえる、
かめれをんのような女じゃ。醜女の美辞麗句、その空々しさいかで褒むべ
き。お蔭でつむが痛うなる。手短に骨子を申せ」

「はい。世の中には女というだけで美しい者もおります。一方でそうした
幸運に生まれつかなかった私のような者もおり、その差は一目瞭然、有利
不利は歴然たるもの。しかし心がけ次第、手入れ次第で、これがある時点
で逆転いたします。先ほど美しい女は花と申しましたが、また申すまでも
なく花は盛りを過ぎれば萎むもの、華美な花また清楚な花ほどその残骸は
無残なものでございます。誰しも齢を重ねますが、容色の衰えは等しく来
るものではなく、また貴賎・美醜をも選びません。もちろん、富める者は
防ぐ手だてを購えますから、幾分か有利な立場にはございます。ですが一
番大切なのは日々の心がけ。崩れは女の慢心をこそ、巣穴と恃みはびこる
のです。そして恐ろしくまた皮肉にも、新しい生命を世に送り出すという
崇高な女の使命を、それは好餌とするのです。出産でたがの外れた体を放
置いたしますと、二度と元に戻らぬどころか容姿の崩れに歯止めが効かな
くなるのでございます。なるほど産婦は病人ではございません。全身打撲
の大怪我人と謂ったところ。一刻も早く手当しなければ手遅れとなりま
す。手を尽くして外から働きかけなければ、回復などあり得ません」

 こうしてめでたく女王は落ちた。三度もの全身打撲が祟った母君の面影
を、我が身の兆しに重ね合わせて偲んだからである。施術女は晴れて木箱
の中から真鍮製の施術台を取り出すよう助手達に命じ、荷馬車を呼んで女
王の化粧室に据えた。

                              つづく


散文(批評随筆小説等) Queeeeeeeeen Copyright salco 2010-11-11 21:29:26
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