そこらへんにいくらでもいる人
豊島ケイトウ

 ゆで加減に失敗した海鮮パスタを食べていると玄関のチャイムが鳴って、ますます気分が滅入った。お届け物でーす。ドアを開けるなり、男性宅配員の間延びした声とともに――これはなんだろうか――賞状などをしまっておくような丸筒を渡された。これはなんですか? 私は実際そう聞き返したが、男性宅配員は無言のままサインを要求して、さっさと帰ってしまった。私は、とりあえず見知らぬ差出人からの郵便物を無視して食事に戻った。テレビでは無名の俳優同士が舌をからみつけ合ういびつなキスシーンを演じていた。母が生きていればきっとこんなとき、あらあら真っ昼間からなんなの、などと貴婦人ぶった小言をはさむだろうなと思い、少しだけ淋しい気持ちを味わったあと、いやいや、そんなことよりも真っ昼間から家でパスタを食べお酒を飲みながら昼ドラを見る私自身に、あらあら、と言うだろうな、と、そう思い直した。
 これはなんですか。私はふとつぶやいてみる。これふぁなんれすか。なるほど、たしかに呂律が怪しい。
 お届け物の中身は認定書だった。「あなたは『そこらへんにいくらでもいる人』に認定されました、おめでとうございます!」簡潔に言えば、そういうことだった。別封には「つきましてはあなたを『そこらへんにいくらでもいる人々の町』へ御招聘いたします」と書かれており、案内図も載っている。
 そこらへんにいくらでもいる人、か。私は、やっぱりな、と一人うなずく。いつか来ると思っていたのだ。だって私にはぴったりだもの。
 翌日、友人に認定書が届いたと報告すると、たちまち彼女の声が親愛を帯びた。そう、あんたにもやっと来たのね、よかったじゃない、全然落ち込む必要はないわ、結局普通が一番よね!――彼女は三年前、すでにもらっているのだった。別に落ち込んでなんかいないよ、と返事して、私は電話を切った。そのままソファに寝転ぶ。普通が一番、ねえ。ほかの友人知人も何人かもらっていて、みんな最初は嫌がっていた。私は今回、そこらへんにいくらでもいる人に認められてほっとしている。まだ先になるだろうが、そこらへんにいくらでもいる人々の町にも行ってみたい。正式にそこの一員になって暮らしてみたい。つまらないだろうか。でも、つまらなくても私は平気だ。全然、まったく、平気なのだ。


散文(批評随筆小説等) そこらへんにいくらでもいる人 Copyright 豊島ケイトウ 2010-11-11 11:46:24
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