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謁見


 広大な謁見の間に通された時には夜になっていた。
 薄暗い上に火の気もなく、贅を尽くした装飾も寒々と、磨き込まれた御
影の床が湖面のように底光りしている。入室に際して外套を脱がされた二
人は尚も長らく待たされ、陛下ご入来、との合令と共に衛兵に頭を押さえ
つけられ平伏した時には、背筋の寒気が鼻から滴り落ちていた。
 すると遥か前方から澄み透った声が、音叉の残響の如くゆるゆると流れ
て来た。

「国家公僕の外国人労働者に対する契約不履行は外交問題に発展すると申
して左大臣を恐喝したそうじゃな。しかし大臣がそち達に申した通り、こ
んな走り書きは契約書ではない。双方合意の下に成立するのが契約という
もの、そちの署名がない紙面に契約は存在しない。いわんやこれは余の与
り知らぬ依頼であり、国璽も余の署名もないものを、公文書すなわち公僕
の依頼とは認めない。加うるに故人はこの日付を以て退官しておるゆえ、
当該の国家公僕がまず存在せぬ」

 薫香を帯びた紫の霞が眉間の奥に拡がり始めて頭が痺れ、ほの温かい心
地よさに眠気が差した。傍らの意訳を聞き、女はわずかに床から頭を上げ
て、不思議な声の主を窺おうとした。見えるのは巨大な高座と、何やら彫
刻のある梁から下りた金蘭の御簾ばかりである。

 しばらく静寂が降り、咳払いと共に通訳の震え声が響いた。    

「女王様。どうぞ聞いて下さい。あなたの医者の名前は手紙にあります。
それは来て下さいと書きました。私は来ました。それが私の署名です。
お医者はあなたのもの。なぜなら彼はあなたの体見る。それがあなたの署
名です。
そしてお医者は死にました。死体は国家僕でした。なぜなら彼は兵隊でし
た」
 
 女王は愚鈍めいた物言いに苛立ったが、この屁理屈にはなかなか侮れな
いところがあると思った。それにしても、侍医長の処遇について口を滑ら
せた阿呆には詰め腹を切らさねばなるまい。全くうんざりする。

「言うたであろう。その依頼は余の裁可を受けておらぬ。あの者が余の診
察をしていたことと、あの者が個人で行なったことに関連はない。雇い人
が戯れに街娼を買うたからというて、などて余に代を払う筋合のあろう」

 淫売呼ばわりにはカチンと来たが、こんな些事に君主その人がのこのこ
出て来る程度の国だ。その事実こそがこちらの有利を声高に呼ばわってい
るではないか、そこが押しどころだと。

「女王様。でもその淫売は外国人でした。この国に働きなさいと国家僕が
手紙して呼びました。淫売は来ました。でも働けない、お金がくれない。
あなたは言います、一人がだましました、女王知らないと。私は言いま
す、もしかあなたの国の人があなたの国の人をだます、これは大丈夫。
でも、あなたの国の人が外国人をだました、これは問題です。女王様知ら
ないと言います、外国の王様は怒るでしょう。あなたの国の人は私の国の
人に何をしましたか? 私はあなたに金や銀を売らないでしょう」

 銀鈴のような笑い声が響いた。

「右大臣が訪問した折は、国王殿は後宮に入り浸りにて謁見中も舟を漕い
でおられた由。思うに、お忙しき御身体ゆえ、異国で御身の下足が幾たり
失せようとお気に留めはなさらぬであろう。一体にそちの国とは長き友好
関係にあるが、余の国に買い上げてもらわねば食い上げになるほど通商関
係も緊密よな。鉱山の採掘権をそちこちにばら売りせでは、何人目とも知
れぬ御子の玩具代にも御難儀されようものを」

 咳払いをして通訳の声が響いた。途切れ途切れの長口舌が先刻よりやや
強みを帯びた声量なのは馴れよりも、主張が図に乗り始めた証であろう。

「はい女王様。あなたは正しいです。私達の王様は沢山の奥様を持ちまし
て、お城から出る嫌いです。だから沢山の大臣が政治します。私の国の大
臣達は沢山に、沢山に賢い。お城の外に政治つくった。そしてこれは彼ら
にとって、とても大切な点です。王様は舟を漕ぐ。政府が行き先を決めま
す。全部、何をするの決めます。外国に沢山売って沢山もうける。外国か
ら沢山買って国の人々に沢山売る。そして王様に沢山お金をあげる、自分
にも沢山お金をあげる、みんな幸せ。王様は最も金持ちですが、政府は最
も力持ちです。なぜなら政府がお金と国を動かす。そして政府の軍隊は王
様の軍隊より沢山大きいです。王様は署名します、いやと言えない。そし
て私は私の国の大使に言うでしょう、それから大使は政府に言うでしょ
う。どうか女王様が淫売にお金を払って下さいと」
         
「ほほ。国王殿には衷心より御見舞申し上げよう。そちもどこへなりと泣
きついて、せいぜいお偉い大使や古靴下にでも窮状を訴えるがよい」

「女王様。どうか聞いて下さい。私は政府がもしか私の命を助けないを知
っています。でもそれは問題ない。女王様。去年あなたの国はとても乾い
て、とても悪い年でした。トウモロコシや、ジャガイモや、米が生まれな
いので、沢山の人々が死にましたそうです。ええ……、ゴ消臭サマです」

「間引きの年巡りは太陽神の、選良の篩にして土休めの定め。そちが如き
異教徒の悔やみには及ばぬ。卑賤の衆生もじきわらわら生いはびころう。
豊穣神は余の身に降りられたゆえ、今年は豊作じゃ」

「女王様。いいえと言ってごめんなさい。いいえ、今年はもっと悪いで
す。なぜなら売る物がないです。そして外国から沢山買いました。食べ物
も沢山。ケーサイが病気ね。私は言います、これは彼らにとって、とても
大切な点です。なぜなら病気の国はケンカ勝てない。病気の人がどうか出
て行って下さいと言う。でも、泥棒はいやだ言う。女王様、彼らは外交問
題を待っています。ろくでもない沢山の農業をする、大きな国が欲しいで
す。彼らは理由を必要です。私は一つの理由になるでしょう」


 沈黙が続いた。冷え切った体は骨までこわばり、最初の内は自分と助手
の歯噛みしか聞こえなかったが、片耳を床に近づけ前方に注意を集中する
と、御簾の向こうで交わされている囁きの切れ端を捉えることができた。

 ところが響き渡ったのは聞き知った男声で、通訳娘が俄かにこわばっ
た。
「お前達は、畏れ多くも我らが国王にまで脅迫を働いた。これは前代未聞
のことである。これこそが只今勃発した貴国との重大なる外交問題であ
り、我が国法に照らすところの不敬の大罪である。よってここに両名へ斬
首を宣告する」

 通訳は射抜かれた鹿のような顔を向けると、箇所だけを手刀で伝え、し
くしくと泣き伏してしまった。虚を衝かれ、女は最前からの尿意を解放し
てしまった。

「ほら、お待ち下さい大臣様って言うんだよ」
 湯気を立てながら女が通訳を肘で突いたその時である、再び大臣の声が
響き渡った。

「これが通常の処遇である。しかるにこのたび女王陛下にはめでたく王子
様をお授かりになり、この歓喜いかで伝えまつらむやとて奉祝の歓呼あま
ねく国土に満ち満ちて、慶賀の祝辞ひきもきらず国外より来るさま心楽し
く平らかに叡覧えいらん遊ばす今日この頃、げに勿体なくも両異人に特段のお慈悲
を下される由、謹んでこの御寛大なる恩赦を頂戴し、速やかに国外へ退去
するようここに申し渡す」

 冷え切ったお漏らしの上、手ぶらで出されてなるものかと女が思った
時、
「尚、臣民の偉大なる君主にして、かくも憐れみ深き慈母であらせらるる
女王陛下にはまた異人に格別の御配慮あり、重罪人ながら寄るべもなき異
郷の愚かな女人連れとて両名に帰国旅費を恩賜する。この後、左官房大政
次官付内務寮出納役小口現金請出下役より受領されたし」

 そういうわけで、通訳の黄色い鼻声が途切れ途切れに響き渡った。

「待って下さい、大臣様。私は二人じゃないです。五人です。そして大き
な、大きな、一つの荷物」
 すると遥か前方で何かをひっぱたくような音が響き渡った。




請求

 こうして女が請求したのは旅費ばかりでなく、長旅の運搬中に潮をかぶ
ったりぶつけたりして損害を蒙ったかも知れない商売道具を開梱して点検
する間の延泊費用と、損害が発生していた場合の弁済金もあったが、何よ
りも強弁に主張したのは、故人の招聘に応じて店を閉め支度に取りかかっ
てから無駄足の為に潰え、更には帰国してから営業を再開するに至るまで
の日数分の休業補償であった。
 その次には営業再開後も遠のいた客足を回復するまでの損失補てんの問
題が横たわっており、無論それは長期休業の貼紙を見て永遠に失われたか
も知れない不特定多数の顧客に見込まれた将来にも及ぶ利益だけでなく、
悪事でも働き夜逃げをしたのではないかという心ない憶測の流布による風
評被害の損失分という、現時点では計上し得ない深刻な問題はとりあえず
差し置いての話である。
 こうして謁見の間から場を移し、女と通訳が想像力と感応性のどんより
と退化した人種を相手に渉り合い、宮殿を後にした時にはしらじら明けで
あった。

 謁見での嫌がらせで発生した衣服の損害に言及するほど慎みのない女で
はなかったが、外国の国家元首に見えたという思い出を土産に帰国するほ
ど謙虚でもない。腕一本で食って来た女である。何を勘案・裁量する権限
もない木端役人相手に交渉したところで益体もないことは、最初からわか
っていた。
 そこで旅籠に戻ると一睡もせず先に請求した細目を書き記し、その対価
の根拠としておのれの手業がいかに優れ自国で重宝されているかを、実
名・実例・実績を列挙した一巻の書状にまとめ上げ、左大臣宛として助手
に届けさせた。何の権限も持たされていない大臣がそれを女王に見せるこ
とを看破しての上である。また原語のまま出したのは、文脈を損なうよう
な拙い通訳は、宮殿内にはまさかおるまいと見越してのことだった。

 案の定、荷物の点検作業もせずにぶらぶら延泊して三日目、早くも召喚
状が届けられた。女は通訳を通じ、旅籠の親父に領収書を切るよう請求し
た。

                              つづく


散文(批評随筆小説等) Queeeeeeeen Copyright salco 2010-10-30 19:54:39
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