かれん
salco

新宿駅の地下連絡通路に連なり通行人をガイドする
柱の鏡で彼女は念入りな化粧の最中だった
思春期の門口に立つ少女のようにあどけなく熱心に
出勤前のホステスのように身を乗り出し一心不乱に
何千という行進の靴音と視線の中
夢のように淡いピンクのオーガンディーの
ベビードールのドレープに身を包み
腿が大きく裂けた肌色のストッキングに靴もなく
牡丹のように巨大な髪飾りを赤と紫二つ付けた
ラガディ・アンのもつれた頭を鏡にぐっと寄せ
そこに映る三十代の少女の真赤な頬に
細心の注意と賛意を込めて尚もブラシで円を重ねる
染みひとつない、
八○年代アイドル歌手の衣裳じみた寝巻よりむしろ
それとは対照的なストッキングの傷みと汚れが
底辺の自堕落と卑猥を痛ましく主張しており
ほぼ全面に広がる伝線の上には不自然に膨らんだ白いパンティーが
生理ナプキンと所属不明の性器を暗示している
一体、この女はアクメをさえ明晰に自覚できるのだろうか
そう、支障はない
感覚は認識の比ではない

しかし歌舞伎町の真下へと繋がる地下道で
数知れぬ好奇と嘲笑に身を晒し
あるいは誇示するようでありながら
もはや数の一員としての意識を軽やかに離脱して、
絶対的な個の中にのみ安住しおおせた彼女が今、対面しているのは
宇宙ほどにも気有壮大な赦免ではないのか
誰もが憧れながら生涯手にできない自由とは畢竟、自分自身
心のまま生きることだろう
凡庸な狂気を映しているに過ぎないこの女が
すると女神に思えて来る
どんな女優が演じるより痛ましく清らかな女の本質に見えて来る
こうして可憐という無垢は、狂気でしか保存し得ないのだ
「正常な」女は皆、これを演技する
ただ狡知か錯誤で外向きにしつらえているだけで
衆人環視にピンクのベビードールではなく
擦り切れた垢まみれのセーラー服で浅ましく
十四歳の再演にこれ努めているだけなのだから



自由詩 かれん Copyright salco 2010-10-29 20:50:44
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