早馬と女
南の国から女がやって来たのはそれから十日も経った頃だった。
早馬は本当だったが陸続きではなかったので、元侍医長が旅程から若干
の紺碧と波頭を割愛したのは、恐懼のあまりに働かせた罪なき縮尺であっ
たろう。
しかし女は決断と支度とに中三日を要し、挙句には助手を四人帯同する
と言い出してまず早馬の迎えの者を驚かせ、更に出立の当日は犀でも入っ
ているのかという木箱を別雇いの荷馬車に積載してもっと驚かせ、港まで
の運賃、港からの船賃は勿論、それを船積する為の人足代まで要求されて
は、出るのは冷や汗ばかりで二の句も継げぬ次第であった。
こうして帰着してからの陸揚・荷馬車の代金は無論、都に至るまでの旅
籠代も五人分だったので、馬草の上で霜夜を明かした早馬と迎えの者は途
中の町で金策に走り回らなければならなくなり、もはや呆れる暇もなかっ
た由である。ようやく侍医長の邸にたどり着けば別人が転入の最中であ
り、慰労でさえも業腹なところへ前住者の行方など知るかと罵倒されただ
けだった。
そこで異国の女達の刺すような視線を背中に感じながら轡を宮殿へ向
け、正門の衛吏に侍医長への取次を願うと衛兵詰所へ連行されて身体検査
のうえ誰何から始まり来意を録取され、事の経緯を一から説明し小半日も
待たされた挙句は、侍医長は只今外出中との回答であった。
寒風吹きすさび日も暮れかかっては都大路で野宿というわけにも行か
ず、半泣きになりながら旅籠代の工面にまた駈けずり回らねばならなかっ
た。
翌朝は明け前に単身赴き、今度は通用門近くの叢で待ち伏せることにし
た。空が藍色になった頃、酒樽を満載した荷馬車がゴトゴトやって来たの
で、応分の金を御者につかませた。それで無駄口を利く仲だという蔵番に
つかませてもらって用件を通じさせ、蔵番から御膳寮の料理番見習いへ、
料理番見習いから配膳の端女へ、配膳端女から膳
検めの下役へ、膳検め下
役から側仕えの端女へ、側端女から侍女下役へ、侍女下役から御前毒見
へ、御前毒見から内務下役へと少しずつつかませて言づけてもらい、こう
して最も確実な手蔓により昼過ぎ判明したのは、前侍医長は定年退官して
一週間前に老衰で死んだのでお前の用件を言づけることはできないという
ものだった。
迎えの者が途方に暮れたのは、謝礼と過剰経費の取りっぱぐれや立替え
払いで無一文になり高利貸からの借金まで背負った我が身の明日よりも先
ず、あの莫連達を誰が送り返してくれるのかという問題に直面したから
だ。
しかしよくよく考えてみれば、宛先がない届け物を抱えて立ちあぐんで
いる道理はない。当の依頼人が世を去った以上は、その用向きもまた墓に
納めてやるのが供養というものだろう。それで旅籠の厩にこっそり手回り
品を取りに戻ったところを女の連れに取り押さえられ、二階へ引っ立てら
れた。
「あなたはどうしていますか? なぜ私を連れないですか? 今日は悪い
です」
今の今まで押し黙っていた助手の一人が突然この国の言葉で喋り出した
ので、迎えの者はまたしても驚いたのだった。観念して実のところを話す
と助手娘がそれを訳し、女が冷然と何か言い放ち、それを訳して言うこと
には、
「あなたの動きは本当の悪いです。なぜならあなたの頭は尻なようです。
どうぞ私を城に連れて行って下さい。なぜなら私は上手に話せます」
雇った辻馬車に女と通訳を乗せ、再び城に向かった。
木蔭から窺っていると、二人は門衛に書面らしき紙を示して取次を要求
し、衛兵にも高飛車な態度で何やらまくしたて、面倒臭そうに出て来た下
役人と押問答していたが、小さな手提げから別の紙を取り出して振り回し
たかと思うと、そのまま一緒に入って行ってしまった。
早馬の迎えの者は慨嘆の気力も失せていたので、もう少し辛抱していた
ら、あるいは損を取り戻せたかも知れなかったと、おのが短慮をぼんやり
悔いたことだった。
つづく